戦う意味とは

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スポーツはよく戦争と例えられます。戦争の代わりにオリンピックが発展してきたと言う人もいます。そこで人との競争を極端に避け、山に登ったり、 サーフィンをするという、戦う対象を人以外に向けたスポーツも多く存在します。もちろんそれはそれですばらしいいことだと思います。

登山やサーフィンはもちろん人とは戦いませんが、外からの迫りくる自然の障害と自分の中で起こるいろいろな感 情(心配や恐れなど)と戦い、それを乗り越えることを目的としているのだと思います。困難に立ち向かい、それを乗り越えることで「脳」ドーパミンというホ ルモンを出し快感を覚えることは周知の事実だと思います。脳はそのような行為を望んでいるからです。

では、バドミントンのような対人スポーツはいったい何と戦うのでしょうか。それは「人」、さらには「相手や自 分」でしょう、と多くの人が思うと思います。私も「人に勝つ」ために練習し、誰々に勝った、○○大会で優勝した、という経験はとてもうれしいものでした。 しかし、すべての人は必ず負けを経験します。勝利を目指して一生懸命練習してきた人はとても悔しい、苦い経験をすることになります。その「苦い経験をもう 二度と味わいたくない」と、さらに練習に励むのだと思うのですが、その過程では、ミスや負けがやはり多く出てきます。そうすると心の中では、例えば「こん なミスをしていると勝てるわけないよ」とか「何やっているんだ、もっとしっかりと羽を見て上手く当てろ!」という言葉を自分が発することにもなりますし、 指導者がいる場合はそのような言葉が実際に投げかけられることもあると思います。

そのようなことが積み重なるとどうなるか。上手くいっているうちはいいのですが、ミスが出た瞬間に「やばい、 こんなミスが出てきた」という不安の言葉を発し、さらには「ここをこういう風に修正すればいいのかな?」と心がささやき始めます。しかし、たいていの場合 は集中力に欠き、上手く修正できません。意識して体の動きを瞬時に修正することはできないからです。スムーズでトータルな体の動きを司っているのは下意識 だからです。

「下意識」は今までの目で見た映像や感覚をすべて記憶していると言われています。つまり、ある程度経験をして きている人は、実はいいプレーのすべてを知っているのです。しかし、練習の過程で「ああしろ、こうしろ」と言われ続けそれに従ってきている人は、「ああ、 これが言われたプレーかな。これでいいのかな。」と思うようになり、実際はもっと「この感覚よりももっとこの方がいい」と下意識は感じながらも指導者に従 うようになってしまいます。本当の感覚までも鈍らせて!これでは下意識に体験させたことになりません。

今のバドミントン技術はとても高度になってきており、ある程度の基礎技術は存在します。それは無視することは できませんが、基礎の上に応用、つまり個性を築き上げて行くのは、個人の感覚しかありません。「新インナーゲーム:W.Timothy Gallwey著」では、その感覚を邪魔しないように、練習過程で自己による「良い、悪い」の判断を行わずに、下意識による体のコントロールがスムーズに いくようにすることが最も早く上達すると述べられています。体験することが最も大切だということです。それは下意識が体験しないといけないので、心に浮か ぶ評価の言葉は不要なのです。外部からはもちろんですが。

下意識を引き出すにはどうすればいいか。心の中に余計な言葉が出てこないように「あることに集中」することが 大切です。集中するためにはいろいろなところでよく言われていますが「今」に集中することは大前提として大切です。過去の失敗や結果への不安は、「今」に 自分を存在させなくしてしまう余計な言葉掛けです。

しかし、上手く今に心が存在できているとしても、プレーを修正する思考や細かな戦術を考えているとやはり集中 できません。戦術は大切でしょ?と言われるかもしれません。もちろんそうだと思います。しかし、戦術を実行するには過去に徹底して練習し、下意識に記憶さ せておかなければならないのです。やったことのない(やっていても下意識に体験させられていない)ことはできないのです。

体の動きは「下意識」に任せ、意識はどこに向ければいいか。個人によって様々ですが、ある焦点に絞り込むことが大切です。テニスでは例えば、「音」もしくは「ボールの縫い目」、「相手コートの一点」等に意識を集中させると心は余計な言葉を発しなくなるそうです。

 

話がそれてしまいましたが、脳は困難を乗り越えることに快感を覚えます。もちろん下意識もそのような新しい体 験をとても好みます。つまり、この「困難に打ち勝つこと」が真の目的なのです。バドミントンのために集中力を養うのではなく、集中力を研ぎすまし下意識に よって体をコントロールさせ、困難なショットに打ち勝つ体験をするためにバドミントンをしているのです。

もはや、「戦う」対象は「困難なショット、ラリー」であり、対戦相手ではありません。逆に、対戦相手は「私」 に困難なショットを提供してくれる「フィーダー」です。相手の下意識も自分にそうなるよう望んでいます。「もっと嫌なこと、タイミングを外したり、だまし たりして困難を克服する状況を作ってくれ!」と。ですから、もう勝てそうだと手を抜いてプレーすることは、相手にとって失礼に当たる訳です。

今まで、勝った相手、負けた相手のことを考えるとどちらに対しても心穏やかになることはありませんでした。しかし、「戦う対象は人ではなく、困難なショットだ」と考えることができるととても心に穏やかさが戻ってきたように感じます。

 

参考文献:

・「新インナーゲーム—心で勝つ!集中の科学」
W.ティモシー ガルウェイ (著), W.Timothy Gallway (原著), 後藤 新弥 (翻訳)

・「脳を活かす勉強法」 茂木 健一郎 (著)

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