ジュニアの練習試合
今日は高校の体育館にてジュニアの練習試合が行われました。小学生から中学生までのチームが集まり熱戦を繰り広げていました。それにしても技術の高さには驚かされます。小さな体でシャトルをコート奥まで飛ばし、相手のドロップショットにもしっかりと追いつくトラベリング技術がありました。中には小学校1年生の選手もいましたが、ラケットワークを駆使し、シャトルをコントロールする様は目を見張るものがありました。
実は、我が息子も一緒に入れてもらい、初めての試合を経験しました。サービスなども教えたことがない状態での試合でしたが、色々工夫して一生懸命羽を追っていました。もちろん勝てませんでしたが、終わった後に「楽しかった」と感想を言っていたようです。 普段の遊びとは違い「真剣勝負をする」という場でどう心が動かされたか今後も見守りたいと思います。 |
いじめ考
最近問題が大きくなっているいじめについて考えてみました。
まず、いじめにはいじめる側が存在します。海外ではこのいじめた側の保護者に賠償責任を負わすというところもありますが、やはりいじめた側にすべて責任があると思います。 では、なぜいじめるのか。「いじめ=攻撃」はやはり日々の愛情不足や不安感、嫉妬心、いじめられるかもしれない恐怖感から起こるものだと思います。そこには、特に5〜6歳までの親の過保護、放任、虐待などに原因があるのではないかとテレビでも討論されていました。 親の放任はもちろん愛情不足からの不安感になります。虐待はもういじめられているわけですから、恐怖心からくる攻撃が起こるのは当然です。 過保護はどうでしょうか。やはり、やっていいことと悪いことの判断が鈍るものだと思います。少しの子供の試みも、「危ない」ということが先に立ち、挑戦させないままに終わることが多いですし、軽い喧嘩などもすぐに大人が出てこじらしてしまう。そういう中から出てくるはずの「ガキ大将」はもはや存在しません。 また、外で遊ぶ場所が地域によっては極端に減っています。よく草野球や草サッカーなどを通して、勝敗を決めることで「負ける悔しさ」から「負けた人の気持ち」なども勉強するのですがそういう機会も少なくなっています。その代わりかどうかはわかりませんが、ゲーム機の発展で、子供が数人集まっているのに、それぞれがゲームをしていたり、最近の残虐性の高いゲームなどにも問題が...。 なんとなく話が大きく膨らみそうなので今日はこの辺りで...。 |
気温の差
今日、北海道でサンマが大量に浜に打ち上げられたというニュースがありました。原因はオホーツク海に急激に冷たい海流が入り込んだということです。
今日の日中は、日もよく当たり軽くトレーニングをしている時には、半袖半パンで行うことができました。しかし、夜の練習会では、汗をかくと背中が冷え、疲れがたまってしまったように感じました。周りでも体調を崩す人が多く、気温差に振り回される日々が続きます。この冬スキー場は大丈夫か心配です(^^) |
試合から得るもの
今日は練習が休みでした。大会で力を出せた者、出せなかった者が一緒に集う場所に明日は顔を出します。しかし、この「力を出せた」「力を出せなかった」と客観的に評価するのは指導者の役割ですが、やはり「結果」が伴わないと、そこでのいい評価も聞き入れられないというのが現実です。ある意味、勝利は「麻薬」です。何をしてでも「勝利」を得た瞬間に、それまでの間違いなども受け入れられてしまうのです。例えば「体罰」でさえもです。
しかし、アマチュアなのに結果に大きく左右されるのは、本当は危険なことだと思います。選手達の能力や楽しみまで奪ってしまう可能性があるからです。特にバドミントンにおいて日本は中国などとは全く違う基盤に成り立っています。金銭に偏りきっていないところはまだ大丈夫だと思います。「スポーツを通して人生を生き抜く」という精神は忘れてはならないと私は考えます。 |
サービス時の意識
生徒の大会が終わりました。ラリーポイント制での初めての個人戦でした。各選手の試合毎にベンチに座るので忙しかったです。
ようやく慣れてきたとは思うのですが、サービス権を持っているときに「一本!」、レシーバーの時に「ストップ」という掛け声は変わりませんでした。選手達がそれでサービス権があるときに安心してしまうかどうかはわかりませんが、ラリーポイントとなった今では、いつでも「一本!」ですよね。サーバーは不利になることが多いので、サービスをする前に次のラリーをイメージし、打つ時にはいろいろな工夫が必ず必要になると思います。 それにしても体育館はとても寒かったです(^^) |