妄想なのか…
練習ではいろいろなショットを打ち分けることができるのに、試合になると自分の打った球種の少なさに驚かされます。どういう原因で相手の逆を狙うなどの発想が実行できないのでしょうか。ラリー間には「簡単に上げない」「弱い球も使う」などと考えていますが、やはり「ミス」を恐れての選択なのでしょうか。
逆に考えてみると、相手のショットも意外と球種は少ないのかもしれません。世界トップレベルで戦ってきた人は相手のショットを本当にうまく先読みします。その判断には迷いがありません。一度見たショットは次は確実に狙っているようです。 私はまだまだ自分のショットに自信がありません。自分の打つショットにすぐよからぬ批評をしてしまいます。ラリー中に動きが止まってしまうのもそのせいなのでしょう。それに囚われ本来の自分を見失い、相手さえも見失ってしまっています。そのような状態の中で相手から良いショットが来ると、それに対応できなかった場合、その後も対応できない自分の姿がイメージされてしまいます。さらに、打たれてもいないのに、そこから「打ち込まれるかもしれない良いショット」までもイメージしてしまいます。「待ち」が広がりすぎるため構えが硬くなってしまっています。 “自分にできるはずのことを達成する勇気を、我に与えたまえ。” “達成できなかったことを受容する忍耐力を、我に与えたまえ。” “そして、この二つの違いを知る英知を我に与えたまえ。” この言葉を思い出しました。 |
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