知識と無知
期末考査が始まりました。朝、体育館を覗くと何やら勉強しています(いつもしていない人まで・・・)。基本的に人は勉強しなければならないことがたくさんあると思います。「知らない」という「無知の束縛」からは、ある程度解放される必要があると思うからです。もちろん知識が豊富にあってもそれにとらわれては成長がなくなります。もし、知っていてもいろいろな人の話をしっかりと聞き、先入観にとらわれずに受け入れることが大切です。
禅の本では「議論してはいけない」と書かれています。「ただ、聞きなさい」という教えです。自分の考えと照合しそれに合っていれば受け入れ、合っていなければ拒否する。それでは○×の二元論になり、だめだということです。 道元禅師も中国へ渡る前は仏教の知識が豊富にあったそうですが、帰国した時にはすべてを捨て去ってきたということでした。「身心脱落」、それにもとらわれない「脱落心身」。 知識は必要だがとらわれてはいけない。知識は鍵をかけて自分の中にしまい込んでしまうものではなく実践することが大切である・・・。時には知らない方が幸せなこともある・・・。 なかなか難しいです。 |
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