「褒める」という行為
「褒めて指導していきましょう!」というコーチングが、よく言われています。もちろん怒りながらよりは効果があると思います。
私も、その言葉通り、しっかりと良いところを褒めて(?)、悪いところはある程度そっとしておき、良いところを伸ばそう(自分の価値観<我が儘?>の中でしかありませんが)と考えて指導してきました。 しかし、そのうち「褒める」というような良いところがいつも同じところとなり、選手側にも飽きが見え、私自身としても同じところを何度も何度も褒めるのもちょっと抵抗を感じるなと思ってきていました。 また、無理矢理良いところ(過大評価まで入って)を探して、そのことを笑顔で生徒に伝えることが、自分への偽りとなって、ストレスとなってもいたのでした。 「イエデ空間」での小池住職の話によると、 「汝は素晴らしい、もっと同じことを繰り返して私を喜ばせなさい。そのかぎりにおいて、汝を承認してあげよう。ただし、もし失敗したときはどうなるかわかってるのだろうな、コラッ」 すなわち、褒められた側が無意識的に感じてしまうのは、褒めてもらえたことについて成功し続けない限り、承認してもらえないのだろうな、というプレッシャーであります。 ということが、自分の心の中にずーんッと入ってきました。 やはり、知らず知らずのうちに「私を喜ばせなさい」というプレッシャーを与えていたのだと感じたのです。 まとめの部分では、 ホメて甘やかすよりは、ポイントを定めて穏やかに叱るほうが遥かに「マシ」な教育方法だということが知られましょう。 と語られていました。心から褒める場合は良いと思うのですが、それ以外は上記の心構えでしっかりと話をする方が良いんだと感じました。「穏やかに」、「さわやかに」...良い表現ですね。 |
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