ペルソナとシャドー
週末に近畿大会が福知山で行われました。4人のシングルスと4組のダブルスが出場しました。「病は氣から!」なんてずっと生徒に言っていたのですが、当日から喉の調子が悪く、いわゆる「風邪」を引いてしまうというなんとも情けない状態での引率になってしまいました。
試合では「勝たせる!」なんてことは考えず、ただ、普段通りかどうかを観察することに集中しようとコーチ席に着いていました。ですので「ここを攻めろ!」とか「相手のこの球に気をつけろ!」なんてことは伝えていません。自分の状態について把握できていれば自ずと相手とどう戦うかが見えてくるからです。自分の状態について不安で一杯になっている選手には力が抜ける考え方や戦術などは話をしました。しかし、そのような状態の選手に話が出来るかどうかと言えばなかなか聞いてくれないものです。普段からのコミュニケーションの善し悪しもあるかもしれませんが、選手自身の性格にも大きく左右されてしまうからです。 この、性格というのは直せるのですが、直そうとする本人の意志がなければ何をしようと全く効果が期待できません。また、そういう不安感や過去の嫌な記憶から生まれる情動に流されている自分に気づくことは並大抵では出来ません。そこには「瞑想」の訓練が必要になってくるからです。私も調子の悪い時には嫌な感情に引っ張られて(観察する力が不足しているため)悪口が出てしまうことがあります。言った後の自己嫌悪にはいつも悩まされます。 普段は自分に何らかの仮面(ペルソナ)をかぶせて社会的に装っていますが(例えば教師などの)、ペルソナが強ければ強いほど情動が押さえられています(シャドー)。これは解消されることは無く何らかの拍子にそれが表に出てくることがあります。相手の行動や発言に違和感を感じて過敏に反応するということは、実は自分の中にも同じようなものがあるということです。つまり、相手が悪いのではなく自分自身の中の普段は押さえられている情動が顔を出しているということなのですね。本当は「怒り」などは相手のせいではなく、自分自身の問題なのです。ですので、調子が悪いなと感じたときは、あまり近づかないように心がけています。マイナスをまき散らす結果になってしまいますから。 出来るだけペルソナを小さく、シャドーを抱えない生き方というのは大切です。そのための瞑想方法などを天外伺朗氏はいくつも提唱されています。普段から怒りっぽいと感じる人は著書をご覧になるとよろしいかと思います。 さて、近畿大会から話題がそれましたが、1年生が単、複とも優勝することができました。全国への切符を手にしたのでほっとしていますが、2年生の結果が今ひとつだっただけにこれからの指導の姿勢というものも考え直さねばならないと感じています。 |
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