体聲に従い動く
岡山県のバドミントン部で体罰が発覚しました。とても驚き残念です。
『「オリンピック選手に体罰」が行われる謎を解く 甲野善紀×小田嶋隆 アウトサイダー対談』 に体罰に関する対談が掲載されています。甲野善紀先生(勝手に呼ばせていただいてます)の著書や映像はよく拝見していたので興味深く読みました。 その中で「指導者の技が圧倒的であれば、体罰は必要ない」とありました。まさにその通りだと思います。しかし...実際のスポーツで年齢を重ねてもなお、現役選手を圧倒できるということはなかなか難しい問題です。白石豊先生も「自未得度先渡他(じみとくどせんどた)」と仰っているように自分が出来なくても伝えようという言葉もあります。もちろん自らの技術を向上させるための鍛錬は必要ですし、それなしでは指導者失格です。 そんな中で光岡英稔氏の名前が出てきました。著書で面白かったという「荒天の武学」内田樹・光岡英稔著という本を手に入れて読みました。この本についてはまたまとめたいと思いますが一通り読んでみてすごい重みがあると感じました。理解できないところもたくさんあるのですが読み込みたいと思っています。さっそく光岡氏のtwitterをツイートして言葉を拾っています。氏が指導されている「韓氏意拳」を一度体験したいと思いHPなどをチェックしてみると3/10に大阪で開催されるとのこと!しかし、スケジュールを見ればバドミントンの強化練習会・・・。まだまだ機が熟していないのかなかなか外の世界に一歩踏み出せません(自分が決めているのかもしれませんが)。 バドミントンにいかにして古武術やその体さばきを取り入れるかを日々考えていますが、生徒たちはとりあえず目に見える「意味のある」練習を求めているのがあからさまに見えるのでメニューを組むのもなかなかストレスがかかります。私自身がプレーでこの動きをうまく再現できれば言うことは無いのですが、まだまだのような気がして伝える自信がないことに焦りを感じています。 パターン練習はあくまでもその動きの本質をつかむための型稽古。そんなパターンは試合中にはほとんど起こりませんし、似たようなことが起こったとしても「起こった!」と思っているうちに遅れを取ってしまって上手く対処できないのがオチです。その本質に触れるかどうかは各選手たちの意識にかかっているわけですがその本質というのも上手く言葉で伝えることは出来ないような気がしています(私自身、それを再現できないことも多々あるので)。 「体聲(タイセイ、タイショウ?)に従い動くこと、それ天意に従い生きることに等しく。ただし行えるか否かは私事なり。」光岡氏twitterより まだまだ身体に聞いてみないことには始まらないような気がしています。 身体の感覚に敏感になるには過去の記憶やありもしない雑念に惑わされない集中力が必要です。座禅をしてみてもわかるように目をつむって座るだけでなのに凄まじい思考の連鎖が頭の中で繰り広げられます。この思考を客観視するにはやはり瞑想する訓練が必要なのです。 それがプレーに出て勝敗が目に見えて決まるということにはつながりにくいのですが、そのような集中力でもって練習したプレーはしっかりと身体に蓄積されていくのでしょう。言葉で伝えることは身体に残りません。光岡氏は「合気道の術理を哲学の用語で理解し、哲学の難所を武道的な身体知で乗り越える」と記されています。この辺りがヒントになっているのではないかと考えている今日この頃です。 |
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