韓氏意拳 その2
今回は韓氏意拳の創始者本家から韓競辰氏が来日されるということで、思い切って講習会に参加してきました。中国語での講習でしたが翻訳が入ったので少しばかりは理解できました。
さて、やはりこの拳法の考え方というのが、とても深いところで仏教とつながっていることがわかり興味もそそられました。自然界では数量化しません。それはかえって苦しみの原因になるのです。「無量仏」の考え方が大切です。手をこう動かそうとか考えることは動作に注目しているので不自然です。その中で最も大切なことで繰り返されていたのが、 「すべての動きは「常態」から始まる。これがないとどのような動きも不自然な動きとなる。」 です。「常態」とはどのような状態なのか。スポーツで言うと「レシーブ」のような感じだそうです。どこにいつ来るかわからない、そのような恐怖や不安でフッと身構えている状態。出来ているかどうかの判断方法は「足はいつでも上げることができる」というものでした。動作は千差万別変化するが、常態は一つ。この辺りは言葉で表現しにくいのかもしれません。 「虎は虎拳を練習しますか?」 この問いかけはすっと頭に入りました。昔の侍たちは街角でいつ切られるような状態になるかわかりません。つまり、襲われたからといって「ちょっと待って、準備運動させて」というような時間は与えられないのです。バドミントンにおいても「ちょっと待って、準備できていないから」というのは本来ではすでに負けているのです。 韓氏によるとやはり、今の世の中は生活が便利になり過ぎていて散漫になっています。したがって、動作を起こす前に緊張して、終わると緩む。それでは今の世の中では自然と言われるが、本当の自然界では不自然である。動物は緩めないし固まっていないのです。 「自然は圧倒的に強い。人間も本来持っている動物のような動きが出来れば強いのです。しかし、知識、思考が優先するこの世の中では自然な動きが出来なくなっています。」と仰りました。その訓練の秘訣として以下の2つを上げられました。 1.間違いを恐れない 間違いというのはまだそれ(常態)が存在していないので、行っていないのと同じ。したがって間違いはない。 2.正しい動作をしようとしてはならない もしそれが正しいと思ってしまうとそれを再現しようと頑張る。しかし、自然の行為は一つ一つ独立しているため再現できることは無い。再現したいと拘れば拘るほど不自然になる。自分が動かし、自分を信じること。ここに身体にゆだねる勇気が試されるということでした。 しかし、なかなか信じられないんですよね、考えなしには身体はそのように動かないんじゃないかという思考の習慣に囚われているために。 私も何度か直接手ほどきをうけましたが、今回はかなり開き直っていたのか、やろうとせず、ただ・・・・というように動いていました。どうせこの動きも一回切りだし・・・みたいに。そうすると「OK!」という言葉が。 今回は韓氏意拳を知るきっかけになった高橋佳三先生や導師の光岡英稔先生もこられていました。高橋先生は目の前で講習を受けられていたのでとても参考にさせていただきました。 この動きをバドミントン...なんて安易に考えていましたが、かなり壮大なスケールの修行だと知り、これからどうなっていくか見当もつきません。しかし、初心者である私の体験としては本当に良いものとなりました。 |
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