エラー = 緊張?
中間考査ということで先週の日曜日は部活ではなく、市民大会に参加しました。ペアは中学生の次男です。2部での出場なのでレベルはあまり高くありませんが、初めての経験からか次男の緊張は異常なほど高まっているようでした。フレームショット、ネットの下にシャトルが突き刺さる、サービスはサイドに1mくらいアウト...等々、目も当てられない状態でした。1ゲーム目はそのまま落としてしまいましたが、2ゲーム目は少しフォローしながら次男に打たせるように出来たのでファイナルゲームへ。しかし、まだまだ肩をまわしたりと緊張はほぐれてない様子。ファイナルゲームは先行できたのでなんとか勝てました。2試合目は調子が戻ったのか、スマッシュを連続で決めるなどいいゲーム内容でした。それにしてもこれほど変わってしまうとは...。父(私)と組んだプレッシャーもあると思うのですが、なかなかそういうプレッシャーを普段の練習では経験していないのだとも思えました。逆にいえば、自ら選択して決定して練習をしていないので、なかなか自信はつかないものだと思います。そういうところは悪しき日本の精神的習慣とも言えることで、なかなか変えることは出来ないのかもしれません。
そういう精神的な考えからいくと、アメリカでは「人にはまだまだ未熟なところがあるため、その辺りを周りでサポートしてあげて力を発揮させてあげよう」という考え方があります。しかし、日本では「人は本来完璧なもので、足らないところがあったとしても、それを補えないのはその本人のせいである」という考え方が強いそうです(為末大さんブログより)。仏道的に考えると人はそのままで仏であるといわれます(本質的にはその通りですが)。人には未熟な部分が多々あり、それを少しずつ受け入れながら、まるでため池の底の泥を少しずつ少なくしていくような感覚で見つめていく必要があると思ってます。周りからも一人一人は違うということを受け入れながら(結果を出さなければならない時は)サポートする必要があると考えています。ただ、それを矯正(強制)という姿勢で関わるのは逆効果で、その成長したいという気持ちは本人自身が選択していないと意味はありません。 話がそれましたが、市民大会では決勝トーナメントに駒を進めました。緒戦では次男の同期の中学生ペアとあたりました。私はいつも隣で見ている子供達ですが、次男にとっては雲の上の存在。やはり緊張は隠せません。ファイナルゲームまでもつれ込みましたが、最後は16くらいで敗退となりました。試合後、次男と話をしましたが、エラーの原因を「緊張のせい」とひとくくりで考えてしまっていることが多く、実は技術的、戦略的に未熟なところがあることに目を向けることも大切と伝えました。「エラーの原因は緊張である」もしそうだったとすれば、なおさら今出来ることを駆使して勝負していかなければなりません。上手だけでは勝てないのが勝負の世界です。本人の思い込みからの構え、位置などを少し黒板を使いながら説明して、そういうところをこれからの部活で練習する、挑戦するところだと伝えました。型にはめようとする学校部活の練習形態では思うように出来ないこともあるとは思いますが、どんな練習内容であっても克服したい本質は見失ってはいけません。 しかし、そういうことはさておき、次男と組んで試合に出れたことは幸せでした。3位の賞状は息子が持って返りました。「なんとしても勝たせたい」という気持ちはありませんが、いろいろなことを学んでいってほしいと思っています。 |
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