すべては通じている
新学期、日々様々な出来事が頻繁に起こり、イメージとして記憶されることが多くなります。「人と人との関わりに全人格をかけない」「成功や失敗は人格と関係ない」そのような言葉を支えに生徒へ対応しようと心がけていますが、何の根拠もない「見栄」のようなものに引っ張られて自分自身を苦しめます。時には自分の欲望を満たしたいが為に他人を犠牲にしようと狙ってくる人もいます。そういうものが見えてくるとその原因は自分の中に隠れてある欲望や怒りではないかと内省します。数十分坐ったところで解決は見えてくるものではなく、「上手くやりたい」という欲望から離れた時にすべてをありのままに受け入れることが出来るのかもしれません。
すべては『必要、必然、最善』である 本当にそうだろうか、厳しすぎないか?と思うならば、 「起こってくるすべての事は自分自身が選んでいる」 と考える。まさにそうだと思うのですが、 「この出来事にはどんなメッセージがあるのか」「私は何を試されているのだろうか」 と考える。どんな状況も3年経てば必ず変わる。 「今の人生の横には同時進行で違う人生も進んでいる」為末大 「一日は一生の縮図なり」森信三 やはりこの方の教えに戻らねばなりません。8巻からなる全集はまだ1冊しか読めてない...。 色々な出来事に対して人格が左右されることはありません。しかし、その対応の仕方に柔軟なしなやかさは必要なのかもしれません。 バドミントンのプレーも然り。すべては通じている。 |
コメント
コメントはありません。
| | mail | url | |
|
この記事のトラックバックURL
http://badminton.ac/blog/tb.php/506
トラックバック
トラックバックはありません。
| | |
|