禅との出会い
いろいろな本から学んでいくうちにあまりにも無知な自分と出会いました。ただ、選手からの質問に対しては不思議なくらいその時リアルタイムで読んでいる本からアドバイスできることが多く、この本とはそういう出会うタイミングなのかと思うようになりました。いろいろなことを頭の中で咀嚼しているうちに同志と呼べる人も現れ、これも大きな運命の出会いと感じるようになりました。森信三先生の言葉通りです。
人間は一生のうち逢うべき人(本)には必ず逢える しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に 一期一会の出会いのチャンスに全精力で向き合うことができるか。その頃からいろいろな人との出会いに自分から逃げないように心がけるようになりました。それまではいろいろな場面から逃げることが多く、もしかするといろいろなチャンスを逃していた可能性がありました。もちろんその出会いに拘ることは無く、縁があればまた必ず会えると思っていましたのでできるだけ本音で接することを心がけました。 そうこうしているうちに全国大会で上位入賞している選手が入学してくる機会が多くなってきました。私はコーチの立場でしたが、周りから”優勝”の2文字が聞こえてきます。練習環境は6面から9面と増え、まさに日本一の環境といっても過言ではなくなりました。それでも...それでも....いくら遠征を重ねても、強い相手と練習試合をしても、きついトレーニングをしてもベスト4止まりでした。全国大会に出ても早い段階で負けてしまうと別顧問からの人でなし扱いの説教。そのフォローに1時間くらい涙ながらの話を聞いたこともあります。このままではいけない、伸び盛りの選手達の未来を邪魔させてはいけない、と強く思うようになりました。 では、他の学校の指導者達はどのような指導やアドバイスをしているのか。とても興味をもっていろいろな場面での指導風景を観察するようになりました。やたらと感情むき出しで怒る人、だらだらと長い説教、こうするべきだという断定的なアドバイス、気合いだ!頑張れ!というような具体性の無い言葉などがほとんどでした。いくら体力をつけても、テクニックを覚えたとしてもそれを使える心が未熟だと全力は出せません。皆、心の扱い方はわかっていなくて難しいところなんだなと思いました。そのあたりをどうすればいいかが私の課題となりました。 まずは自分の試合を振り返りながら、自分の心と向かい合うことから始めました。メディテーションと言われる「瞑想」との出会いでした。しかし、そのあたりを勉強していると周りからは違和感のある目で見られるようになりました。修行?坐禅?出家でもするの?という感じです。理論と数値化が主流となっていた指導者の方向性とは全く逆方向でしたので。 「それ、見えるの?」「意味あるの?」「合理的なの?」 という感じです。しかし、もはや自分の心との対決なので周りからどう言われようが関係ありません。あまりにも話が合わないので試合会場でも時間があれば離れたところで本を読んだりするようになりました。そのころは「禅へのいざない:鈴木俊隆著」をよく練習会場や試合会場で読んでいました。インターハイの宿舎や試合会場で瞑想していて驚かれたこともあります(笑)。沖縄インターハイで休憩時間に会場の学校のグランドでサッカー部の練習を横に瞑想したのはとても気持ちがよかったです。保護者の方がそれを見ていてその後いろいろと話をしました。考え方で共感できる保護者もいらっしゃいました。 〜続く〜 |
コメント
コメントはありません。
| | mail | url | |
|
この記事のトラックバックURL
http://badminton.ac/blog/tb.php/557
トラックバック
トラックバックはありません。
| | |
|