「仲良くなりたい」本能
夏休みに入り学校には高校生や中学生なども来てかなり盛況です。ゲーム練習では最初はうまく運べるものの、数回対戦するうちに徐々に慣れられてきて競り合うようになってきていました。油断もあるかもしれませんが同じ対戦というのはなかなか難しいものですね。しかし、世界のトップクラスも終盤はいつも同じような顔合わせですし、そのようなことは言い訳にはなりません。フェイスブックなどでリン・ダン選手(中国)とリー・チョンウェイ(マレーシア)の仲の良さそうな写真をよく見かけます。コート内では戦っていますが、それ以外ではいろいろなところで通じあっているのでしょうね。
哺乳類には「仲良くなりたい」という本能があります。したがってコート内で敵意をむき出しにして、相手を貶めるというような行為は実は心の奥底では違和感を感じているようです。相手に敬意を払わないような行為はそのうち自分自身を苦しめるのかもしれません。 特にサービス周りの数ラリーで、とりあえず点を取りたいというプレーはどっちに転んでも次のラリーにはいい影響が及ばないような気がしています。うまくいかないと自己否定、うまくいっても油断というように。果敢にギリギリを狙うのはいいですが自分の能力を超えた結果を期待するのはやはり勝負(相手と共に成長する気持ち)を捨てたのと同じです。 相手は自分を高めるツールであると思うことでその違和感から解放され自分の力が発揮できるようになるようです。 現代が列しすぎる競争社会だからこそ、 個人の意識の奥底で、 ともすれば競争競技への罪悪感が芽生え始める。 戦うとは、どういうことなのか。 筆者は、 ベストの能力を互いに体験し合うためにこそ、 協力してお互いの「障害」になることが 真の競争だと結論づけた。 「新インナーゲーム:W.Tガルウェイ著」 自分自身のプレーにも最近は笑顔がないと感じてきていました。うまくいかないと自分を責め、うまくいっても「いやいや、たまたま」と蔑むため楽しいと感じるところがありません。ふと手に取った「新インナーゲーム」。もう一度読み返すときなのかもしれません。 |
自由・・・不自由?
ここ数日は猛暑日が続き、1時間の練習でさえも四苦八苦というところでしょうか。夜間の社会人の練習でも室温は34度。酸素が少ないのか息苦しいというのが正直な感想です。週末は休みを積極的に取らせてもらい子供と釣り、水族館、山登りハイキングなど早い夏休みを過ごさせていただきました。試験が終わると一気にインターハーモードに入るため休みはありません。スケジュールを見ても8月30日まで隙間がありません。8月31日は始業式ですし・・・(^^;)
そんなこと言ってても仕方がないのでしっかりと向き合っていかねばと思っているのですが、思い切ってそのように2、3日体育館から離れてみたのは、その間生徒たちはどのようになるのだろうと少し実験をしてみたかったからでした。やはり、体育館に入った時の凛とした雰囲気は薄れ、フロアでさえも色々なものが散乱していました。・・・言わないとわからないのでしょう。なかなかの幼さに少しカチンと来たので自主的なところを認めつつも強制を入れなければならないのかと少し残念な気持ちになりました。 試験監督をしたある教室で「オシムの伝言」千田善著(みすず書房)という本がおいてあったのでふと読んでみました。その中に「自由というのは危険なものだ。(中略)自由を与えすぎると困る選手もいる。自由を使う能力がないと、自由というものは危険なものになる。」と書かれていたのを思い出しました。考えさせる言葉です。自由を使う能力を育むにはどうすればいいか。また一つ課題が出来ました。 今年のチームは強いので成績はそこそこ出るとは思います。しかし、このままではやはり実力を100%発揮することは出来ないように思えます。トレーニング器具を寄付していただいたOBさんとも「姿勢を修正しましょう」と話をしました。 さて、少し股関節に違和感を感じながらのプレーで調子の上がらない私ですが、修正箇所を色々と頭ではわかっています。しかし、百聞は一見に如かずということで自分のプレーを撮影してみました。まだまだ分析中ですが、問題点の真ん中にどっぷりと入っていくつもりで今のプレーを受け入れ、どう変えていくかを色々と試していきたいと思います。 |
内省・・・どこまで我慢(=挑戦?)できるか
全国高校総体は北九州で行われるので、週末は福岡県の方へ遠征に行ってきました。生徒7人を連れて大学と高校をまわりました。フェリーを使ってのゆっくりとした日程でしたが、慣れない睡眠環境はなかなか辛いものです。さて、練習試合はというとトップ同士での対戦は優勢でしたが、それ以外は色々な展開が見られ様々な課題が見えてきました。普段の学校の練習ではなかなかじっくりとみれないのですが、点数のやり取りからの精神的な影響がプレーに現れるのがはっきりと見えてきました。
競り合った時に点数が欲しくてほしくてたまらず固くなってしまう人、取られた点を取り返そうと突拍子もない奇策に出て墓穴を掘ってしまう人、ショットが上手く行かずそのショットに拘るあまり試合でストローク練習をしてしまう人、同じようにショットに拘るあまり打った球をいいか悪いかを評価してしまい返球の準備が遅れてしまう人など。そのようになるのは私にも起こりうることなので人ごとではないのですが、では、そうなった時にどう話せばいいのかを考えるのが私の一つの役目かなと思っています。(自分も同じなので自分に言い聞かせるつもりでもあるのですが・・・時々、上手いこと言うよな〜と言った後に自分自身ではっと氣づくこともあります。不思議なことですが。) 4泊5日の遠征が終わり、学校ではいきなり夏の近畿予選に向けての校内予選を行わなければなりません。この結果によっては近畿大会に出場できないので生徒たちも精神的にきつい日々を過ごしています。部員が多いのでどうしてもそういうことを行わなければならず私も心苦しいのですがしょうがありません。試合になれば声を出して気合いをいれる人も多いのですが、負け出すと声がでないのが現状です。無理もないのですがやはり、平常心をもっともっと意識してやってほしいなとは思っています。 と、いいつつ、私の社会人の練習では気温の高さもあるかもしれませんが、息が上がって平常心どころではありません・・・!こんなに辛いのはなぜ?と思うくらい、ゲーム中盤でめげています。特に太ももの前がきついのでつま先立ちになっての構えや移動が多くなってしまっているのではないかと思うのですが、焦れば焦るほど猫背で肩関節が上がり、重心が上がってしまっているのかもしれません(む!書きながらそうなのかも・・・と反省)。前衛は「偉そうに構える」と言われたことを思い出しました。前衛で視界が狭くなってると感じるのは止めよう止めようとするあまり前傾し、リズム感がなく、ただラケットを出しているだけなのかもしれません(・・・次試してみよう・・・。)自己反省文となりました(^^;) |