もうすぐ近畿大会
雨が降るごとに空気が冷たくなってきました。体育館でも横の扉を開けると冷やりとします。先々週末は土日とも練習試合があり、体育館では4〜5校集まって試合会場のようになっていました。地区大会が迫っていることもあり、「全国選抜出場」を目標にみな頑張っていました。大阪でも来月始めに全国選抜府予選、15日からは近畿大会個人戦が行われ優勝すれば全国選抜出場の権利を獲得できます。チームの中でも特に出場する選手は優勝をめざして日々頑張っています。私も高校生の時に近畿大会に出場し、準決勝まで進みましたが、当時のプレースタイルは「とにかくジャンピングして前へダッシュ」というものでり、1ゲーム目を先取するも2ゲーム目に太腿が痙攣を起こして2ゲーム目を落とし、ファイナルゲームでは太腿の後ろまで痙攣が起こるというアクシデントにみまわれました。前が痙攣を起こすので膝を曲げる、膝を曲げれば後ろが痙攣するというどうしようもない状態でした。結果3位に終わりましたが今となれば良き思い出です。当時は15点3ゲームのサービスポイントであったため試合時間は長かったです。今は21点ラリーポイントなので少し試合時間は短くなりましたが、もしかすると来年度は11点5ゲーム制に変更されるかもしれません。試合時間もさらに短縮されることが予想され、ますますサービスの重要性が高まると考えられます。
毎朝、30分程度の座禅は続けていますが、ひょんなことから「曹洞禅(sotozen)」という携帯アプリを発見しました。膝の上において座りますが、居眠りなどで揺れるとバイブの「ブーン」と「バシッ」という警策の音が鳴ります。試してみるとバシバシ警策を打たれました(笑)。終わりにはカーンと鐘が鳴ります。そのアプリには写経も入っていました。一文字一文字なぞっていくのですが、指で字を書いてもあまり楽しくないので100円でスタイラスペンを買ってきてやってみています。これを機に字もうまくなれば良いのにな〜なんて考えています(^^) |
瞑想
台風が去り、最近では空が高く感じます。クラス生徒の対応でなかなか体育館に顔を出せませんが近畿大会に向けてみな頑張っているようです。数名はノートを持ってくるので対話しています。問題意識が強くなれば本なども紹介しているのですが、本当に望まないとただの強制になります。それも縁。ただ道を歩むだけです。
最近の朝の瞑想では、掌の感覚に意識を集中させ(3秒でダメなときもありますがめげずにやり過ごす)、そこから慈悲の瞑想につなげています。あっという間に30分経つときもありますが、15分で苦しくなるときもあります。 先日は夜中に目が覚め、前日の出来事への執着の映画が心の中を駆け巡りだすと「思いの手放し」が難しく、ますます眠れなくなりました。そんな時に実践してみたのがまっすぐに仰向けになり力を抜いて、身体の感覚に集中すること。掌から肘、肩、足の踵、ふくらはぎなど順番に意識をしていくと気づかない間に眠っていました。シンキングマインドが落ちた時、初めて本当の自分が顔を出してくる。しかし、その状態を意識すると元の我欲の自分に戻る。なんとも歯痒い感じです。 (読み返してみると何とも分けの分からない話でスミマセン...ただ今の私にとってとても重要なことだと思っているので) |
好きなこと
10月になりました。いよいよ国体に向けての準備が本格的になってきます。今年は長崎で行われます。去年は惜しくも決勝で敗れたので今年は勝つチャンスかもしれません。国体はダブルスーシングルスーシングルスの3つで競われますが、選手は3名しかいないためシングルスは必ず兼ねなければなりません。近年の競技力向上を考えると体力的にもかなり厳しい大会と言えるかもしれません。4名の選手登録にしてほしいと思われているチームも多いと思います。が、なかなかそれは実現しないようです。
この9月は本当に色々な出来事があり、心の整理に非常に苦労しています。正面から向き合う、受け流す、新たな発想を試みる、書き出す、身体を動かすなどをしていますが、感情に引きずられては離れ、引きずられては離れを繰り返しています。いよいよ転換期にきているのかもしれませんが、しばらくはゆっくりと自分と向き合うしかないと思っています。その時間をどう作るかも非常に難しいのですが。 先日は学年の校外学習があり、クラスの引率で吉野の方へ行って来ました。いい天気で気温が上がり、担任している生徒たちは汗を流しながら思いっきり色々なアクティビティをこなしていました。教室では見られない一面が見えてとても有意義でした。部活動の生徒たちもこのようなバドミントン以外の活動を組み込むことで新たな一面が見えるのではないかと少し思いました。合宿などでゲーム練習ばかりでなく、山に登ったり、共同で食事を作ったりという活動ももしかすると良いんじゃないかと思っています。勝つためにはとにかく練習するのもわかりますが、やはり色々な体験を10代のうちにしておくことも大切かもしれません。最近では学校行事も減少傾向にあり「とにかく学力向上を」という方向に流れつつあります。しかし、校外での活動時と教室での学習時の表情に大変差があるため、今何が大切なのだろうかと疑問に思ってしまいます。 「好きなことをやって、それがやがて形になり、それを喜んでくれる人がいることが幸せである」 最近ではこの言葉の意味をよく考えることがあります。 |
日本マスターズ
日本マスターズに出場してきました。この試合は40代、45代、50代の3つのダブルスで競う団体戦です。前日に移動し、会場での練習もすることができました。45歳代の方が先に練習されていたので基礎打ちをした後にゲーム練習。列車で座りながらの移動だったので身体が少し固くなっていたのかわかりませんが、シャトルとの身体の位置が少しずれていたようで肘と肩に少し痛みが走りました。ゲーム練習では強い球よりも今打てるショットを出来るだけ正確にと考えてラリーを楽しむ感じで動きました。1時間の練習も終わり宿へ。ま、とりあえずいきますかのように居酒屋へ。料金が安かったこともあり少し呑み過ぎている感じがしました。大量に水分を取り就寝。埼玉県は朝晩の気温は低くなって快適でした。宿泊している部屋も最初はエアコンをかけていたのですが、窓を開けた方が涼しく空気がきれいでした。
さて、試合当日。3チームのリーグ戦ですが初日は1試合のみでした。朝一で茨城県と当たりました。序盤は少しプレーに違和感があり競り合いましたが終盤はすっと抜けることができ勝利。45代、50代も無難に勝利して一勝。しかし、体力的にはきつくなかったものの試合後は極度の睡魔が襲ってきました。女子チームのコーチをした後、昼食をとり、その後は会場の隅で寝ていました。朝起きた時から試合に向けて準備を行うためその日の試合がもう無くないとなると一気にお休みモードに入ってしまいます。一時間くらい昼寝した後、試合を観戦していました。 二日目。リーグ戦と決勝トーナメント一回戦が行われます。負ければ帰阪です。まずは鳥取県。アップがうまくいったのかかなり柔らかく動くことができました。点数が離れるとやりたいことがむくむくと出てきて、前に出て無謀なプレーで点を取りにいくという「欲」が出ることもありました。この辺りは「まだまだ若いな」と感じました。2−0で取り各年代も勝利し決勝トーナメントへ。緒戦は静岡県。特に40代は福島県と大激戦して抜けて来た強敵でした。試合開始早々、やはり今までとは違いラリーが長くなる展開が多くなりました。チャンスと思えば慌ててスマッシュして息が上がるというなかなか情けない展開。 「まてまて、スマッシュだけが得点できる手段じゃない」 そう声に出しながら、相手のショットを冷静に見つめると、ドライブを強打してくるところから(バックアウトが多かったのですがついつい触ってしまう)前に詰めて攻めて来ていました。強い球ですが浮いていたりすることもあったのでその球を沈めたりしながら相手を前に出さないように心がけました。それ以上の強い球は見逃してバックアウト。後半は上手くまわり2−0の勝利でした。45代も上手くまわして勝利。翌日の準決勝へ残ることができました。 3日目。相手は石川県。元全国チャンピオンや実業団選手がいるとても層の厚いチームです。去年はなんとかそこに勝ったので優勝まで持っていけましたが今回も、というような甘い考えはさらさらありません。全力で準備をして3番目までまわってくることを期待しながらコーチ席に着きました。ここからは45代、50代、40代の順番です。45代は元インカレチャンピオンペア。とにかく強打、好守で隙がありません。アタックをかわされ、沈めても沈め返されて終止相手のペース。前衛が強い球を待っていることが見事に読まれていました。その辺りを伝えましたがやはり反射的に待ってしまうものは簡単に変えられません。私も数年前の全日本シニアで同じように沈められて負けた記憶がありましたから。0−2で負け。続く50代も左から繰り広げられる強打とドロップに苦しめられました。なんとかファイナルに持ち込み最後まで競り合いましたが1−2の敗退。3位に終わりました。終わった瞬間は「・・・・・・・。」でしたがしょうがありません。去年も40代の方と対戦できなかったので今回は対戦したかったのですが、そんなに甘くはありませんでした。 今回の大会から学んだことは、ウォーミングアップを十分に行うことはもちろん大切ですが、試合直前の2分くらいのアップではフリーな感じでゆるゆるとやった方が上手く試合につなげられると思いました。動画などから見ると海外選手のウォーミングアップは色々なショットを緊張することなくリズミカルに行っています。その辺りを今回真似してみましたが良かったと思います。 |
青空
夏休みも終わり授業再開です。週末には早くも2年生以下の全国大会、ジュニアオリンピックが始まります。この大会での成績によってはジュニアナショナル選考会や合宿に推薦されます。厳しいですが自分の目標に向かって頑張ってほしいと思っています。私は引率したいのですが学校業務のため行けません。少し残念です。
色々なゲームを見ながら少しずつヒントをもらっては実践しています。最初はうまくいっても、そのうち上手くやりたいという気持ちが強くなるとぎこちなくなってきます。そのプレーをイメージだけでやっている時は自己から離れられているのですが、上手くやりたいという結果に意識が向かっている時は自己のフォームでやるので違和感が出てしまいます。 「自己を離れる」と本来の動きが出てくるとよくいわれます。潜在意識にアクセスして身体が持っている身体感覚に任せる。しかし、「身体感覚に任せられている」という“考え”が出てきたとたんに自己が戻ってくる。無意識だと自分がやっている感じがなくて達成感がない。やっぱり自分がやっているようなやった感がないと自分の存在が確認できなくて不安になってくる。結果に拘っているようで、実はみな自己の存在への不安感がある。私も然り。父が他界し、そのことを最近はさらによく考えます。 自分の存在確認。最初は褒められている、見守られている、勝ったという結果などからそれを確認し、次第に権力や名誉、お金に執着しその確認をする。しかし、一時的に確認できても、次第にその確認要求が強くなってくる。 天外伺朗氏は母親から引き離された「バーストラウマ」が誰にでもあり、それを克服しない限りこの問題は解決しないと著書「問題解決のための瞑想法」より話されています。色々な瞑想方法を提案されており、やはりすべての問題は周りにあるようで実は自分自身の中にあると言われています。しかし、いくら瞑想しても自己が自己を見つめるならば進歩はなかなか出来ません。自己が落ちたときを感じなければやはりダメだそうです。その辺りの方法を提案されているのがワンダルマ仏教僧の山下良道氏。ポッドキャストで話をされているのを聞いてはいましたがその著書「青空としての私」にようやく書店で出会い読んでいます。自分の感覚に集中することから次の慈悲の瞑想に入る。これは両氏に共通していることでありやはりこの辺りがすべての問題可決に至る入り口なのかもしれないと考えています。 「私」は例えるならば「雲」ではなく「青空」である 機会があれば一法庵の山下良道氏の話を聞きたいとも考えています。近畿でやることもあるので...実現できるかな〜.....。 |