全日本シニア
全日本シニアが終わりました。1年に一度の最高の挑戦である試合です。今回は40代ダブルスとシングルスにエントリーしていましたが、特にダブルスでは上位進出を狙っていました。緒戦、相手は気合いの入っている相手で1ゲーム目は流れに乗れず大苦戦。19−20と逆転され、緊張も最高潮でした。棒球のスマッシュにネットから浮いたドライブ。もう、どう打っていいのかわからないくらいの状態に陥っていました。しかし、バックハンドで打ったフォア側からの浮いたドライブが相手の2人の間に入り相手のエラー。そこで追いつくとなんとかドゥースで逃げ切ることができました。この大会ではいつか「死線を越えなければならない」と思っていましたが、それが最初に来てあわやというところでした。2ゲーム目は柔らかさが戻り、差を付けて勝利。2人でほっと一安心でした。2回戦は兵庫県、3回戦は東京都、4回戦は広島県と集中力が続き、なんとかベスト8。もう一つ勝てば最終日へ残れます。相手は埼玉県。一見荒々しい相手には見えなかったので、先に攻撃してくる感じではないと思い、こちらからスマッシュを積極的に打っていきました。しかし、相手のレシーブは異様に固く、左右に打ち分けたりボディーを狙ってもことごとく沈められたりしながらそのうちに前へ詰められ押し込まれる。その繰り返しでシーソーゲームとなってしまいました。1ゲーム目の終盤では打っても打っても決まらず、100本くらいラリーが続いたかもしれませんが異様に長いラリーが数ラリー繰り返されました。なんとかぎりぎりで逃げ切りましたが、2ゲーム目はどうなるものやらの気持ちでした。2ゲーム目は少し上げながら守り、そして打っていこうと思っていましたが、やはりそうなればエラーも増えてきてリードされました。やはり打っていかないと!そう決めて、取られ続けても打ち続けていくうちにセンターなどに入れた球が決まり出しました。途中、息が上がるようなまた長いラリーが続きましたが、相手の一人にも同じように疲れが見えてきていました。狙うしかない!一人に球を集めてそこから突破口を見いだしていきました。勝利!ベスト4は確定です。
最終日の準決勝は第1シードの神奈川県です。膝裏の筋肉をいためていたので、そこの周りをほぐすストレッチを十分に行い、会場でも30分のジョグから色々とやりました。コートに入る時には「大丈夫!」という感覚になっていたので全力で行くぞ!という気持ちになっていました。 しかし、1ゲーム目が始まって初球、上がってきた球をスマッシュ!・・・・・・・浮いている・・・・!!。相手はラケットを立てて前へ落として沈めてくる。あら?力が入っている・・・と不安感が襲ってきました。初日の1ゲーム目の再来です。力を抜くように抜くように....と念じながらもリターンは大振り、ドライブは高く、カウンターを食らって追い込まれる。あっという間に5−11。力を抜くことだけを考えていましたが、その次のレシーブからようやく沈めたりできるようになりました、が、16−21で1ゲーム目を落としました。なんとか大丈夫かもという気持ちもありましたが、2ゲーム目も始まると5−11。やばい、これではこのまま追いつかない。そう思ったのでペアに「前に出る!」と告げ、強引でも相手のスマッシュを沈めては前に入り込んでドライブ、プッシュを狙っていきました。リズムが良くなってきたのか徐々に追いつきはじめました。18−19までいったのですが、その後、ショットサービスを押し込まれ18−20。相手のサービスをプッシュしてサイドアウト...!!終わってしまいました。「仕掛けるのが遅すぎた・・・」というのが一番悔やまれました。 試合後、帰りはずっとこの試合が頭から離れず自問自答を繰り返していました。淡路島で温泉に入りながら「肩に力の入る原因は何だろう」とずっと考えていると、やはり思い当たるのは最初の「全力のジャンピングスマッシュ」。相手は後ろからはスマッシュを全力では打たず、沈めながら徐々に前へ詰める機会をうかがっていました。その、スマッシュの遅さにこちら側のタイミングが合わず上げてしまうことが多いことがまず一つ目の原因。そして上がってきたらチャンスとばかりに「全力で打っていく」ことが二つ目の原因でした。つまり、相手はカウンターを食らわないように沈めながら、こちらの攻めたい気持ちを我慢させる。そして上げたとしても、力んで打ってくる甘い球をまた沈めて前へ詰めてくる。こちらは力んで打っているためバランスが崩れていることが多く、次への対応が遅れがちになり、甘い球が多くなってくる。もはや敗因は歴然でした。 相手は決勝に進みましたが、その対戦相手は棄権。自動的に優勝が決まったそうです。悔しい!!という気持ちも最初はありましたが、帰ってからの社会人の練習で色々試すと、やはりその攻め方がとても有効であることがわかりました。腑に落ちた感じがあり、来年こそは!という気持ちに変わっていきました。 |