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先々週末はインターハイ予選、学校対抗戦が行われました。順調に決勝まで駒を進め、決勝戦は3面同時進行で開始されました。シャトルが重かったこともあるのか、第1ダブルスの攻めが前に出られて押し返されます。「強い球で攻めればとりあえず何とかなるだろう」という油断からか、アタックを押し返されるという展開になると慌ててしまい、もっと強い球を打つことでその不安から逃れようとする。しかし、そのようなショットは力が入っているため角度が付かず棒球のようなショットになりさらに押し返されたり沈められる。修正の効かないまま点数は競り合い、終盤はもはやよくわからない展開に。1ゲーム目は先取されてしまいました。2ゲーム目は話し合いながら球を沈め、前からのショットを押し込むという展開に持ち込み11−1。この辺りはさすがレギュラーです。修正をしていきました。その戦い方で2−1で勝利。第2ダブルスは力で押し切るタイプなのでそんな変化は難しく、2ゲーム目は点数も競り合いながらの展開になりました。しかし、最後まで押し切りの2−0で勝利。トップシングルスは2ゲーム目少しの油断からか中盤で追いつかれていましたが最後はうまく逃げ切り勝利。結局3−0で勝ったものの、ナショナルメンバーの2人がいないチーム(強化合宿のため)では何とも言えない薄暗い空気が漂っていました。
「負けるはずがない」 そう思ってしまうことはあると思います。しかし、そういう展開になるかもしれないと思ったとしても「このゲームでまた新たな自分のプレーを発見できるかもしれない」とコート上の自分に意識を向け、さらにどういう相手なのかを観察する目が持てれば、結果という未来に意識が向くことは少なくなると思います。 人は自分の思い描いた結果に近づくにつれて「ほら、やっぱり。思った通りでしょ?私の考えは間違っていないんだから」と周囲にアピールしたくなる欲望が疼きます。しかし、その瞬間に脳血流量は一気に下がるので思ったように身体は動かなくなってしまいます。血流量を上げるには時間がかかるため、その数分間に全く違う展開になることもあります。 「自分を認めてもらいたい欲望」が勝敗に大きく関わっているように思えます。結局、「自分」など考え抜いたとしてもどれが本当の自分かわからないものなのですが、本当の自分を褒めてもらいたいが為の欲望はなかなか根が深いものです。その辺りは自分を変えようという決意の先に、自分を認めてあげることからしか始まらないのかもしれません。 「○○さん(自分の名前)はよくやっているよね。ありがとう。」 素の気持ちで自分自身に言えますか? |