全日本総合
東京です。今日は予選の抽選会がありました。ダブルスは卒業生と在校生の対決です。なんという確率でしょうか。
会場での練習がありました。実業団、学生など入り乱れての練習です。高校生は遠慮してなかなか入れません。まだまだ覚悟が足りません。 練習風景もそれぞれです。でも、やはりハイランカーは雰囲気が違います。覚悟できています。他の人に隙を見せません。 弱肉強食の世界。憧れと畏れが錯綜しています。 トップ選手はここに満足せずに、海外のメジャー大会で早く勝ってくれないかと少し思いますが。 皆さん頑張っているんですがね……。 |
体罰
日本体育協会公認コーチの資格を持っているので、年に数回「指導者のためのスポーツジャーナル」という雑誌が送られてきます。今回は「体罰」についての記事が指導者の体験談とともに掲載されていました。
「暴力で根性を養えるわけがない」元プロ野球選手・野球解説者 桑田真澄氏 「体罰は指導者のエゴにすぎない」大相撲尾車部屋親方 尾車浩一氏 「熱意を体罰に転化させない」東京女子体育大学心理研究室教授 阿江美恵子氏 というタイトルが付けられていました。 日本では注目される野球、相撲では昔からそういう話題が表面に現れてきている種目だけ(他の種目でも同様だと思いますが)に、特に興味を持って読みました。 「プロだって三振するし10割は打てません。エラーだってします。なのに子供がミスしたからといって殴ったり怒鳴ったり。そのくせ自分はぱかぱかとタバコを吸っている。・・略・・自分に優しく選手に厳しいなんて最悪の指導者だと思います。大人として卑怯な振る舞いですよ。」(桑田氏) 「教えても教えてもできないあまり暴力や体罰を与えるのは、子供の能力を伸ばすためではなくて、子供を思うままに支配しようという指導者のエゴ。」(尾車氏) 「指導者の熱意というものはよくわかっていて、その熱意ある先生からであれば体罰を受けても容認する意識が強く見られました。」(阿江氏) 強豪チームではよくありそうな光景。私もいろいろなところでそういう光景を目の当たりにしてきました。しかし、結果が出るとつい「指導者のおかげです」となってしまい、結果が出ないと「私(選手)のせいだ」とすり替えられてしまうんですね。 この3人の方の話で共通しているのが、 「自分で考えて自分で行動を起こさせる」 「自分の(選手時代の)体験は踏襲しない」 「指導には時間がかかる」 というものでした。「自分で考えないと自信も根性もつきません(桑田氏)」「自分の限界をきめず最後まで稽古をやり抜くことで自信がつく(尾車氏)」。そこに体罰は必要ないということです。 また、「短期間で答えを出し急ぎすぎたために、競技生命を絶たれてしまった選手達が子供達がたくさんいる(阿江氏)」「指導には長い時間がかかる、仮に途中で辞めたとしても学んだことが次の世界で通じるような一人前の人間に育てていくのが私の仕事です(尾車氏)」などの意見もありました。 「体罰は教育の放棄」(山梨大学教授 寺崎氏)という言葉も心に残りました。 |
七五三
今日は三男の七五三でした。紅葉がとてもきれいでした。
来週から全日本総合が始まります。生徒が選手として予選に出場することになっているので私は引率です。 ほかの「大人」の選手達をどう受け入れることができるか。3年ぶりにコーチ席から試合を見たいと思っています。 |
筋肉痛が・・・
ひどくなってきました。右足のお尻の付け根、腰と、動く前は「今日はやめておこうか」という気持ちになります。しかし、「いやいや、こんなところじゃまだまだ」の声と共に今日もシングルスのノックを生徒のため(?)に組み、一緒に参加します(^^)。それにしても動けません・・・。筋肉痛が起こるだけまだ体も反応している、と思っていますが。
今日は1点返しのノック20本×10セットとパターン練習に30分コートに入りノックダウンです。その後生徒達はパターン練習とミニゲーム練習を1時間+トレーニングをこなしていました。凄いものですね。 |
黙って練習
シニアも終わり、しっかり動こうとノック練習に猛然と参加しています。ふと、足が出なくなる時があるので不思議に思っています。まだまだ自分を知ることができていないようです。
左足首の捻挫、右膝の痛みなどが出てきています。とりあえず「無理」をしています。こういう機会もいいかなとちょっと思っていたりするのですが。 「負ける」と悔しいものですね。わかっているのですが、今はその感情に任せてとにかく身体に鞭打っています。限界を作っていては身体は覚えてくれません。限界を作るのはセルフ1(※)なのですから。「まだまだ!まだまだ!」の言葉を身体に浴びせかけています。 結果は期待したくないのですが、今はただ黙ってやるのみです。他人をあ〜だ、こ〜だ言っているうちは、自分のなすべきことに集中できていません。“今”に集中することは明日の自分につなぐことです。「今の自分」と「明日の自分」ははっきりと途切れています。だからこそ“今”を大切にしなければなりません。 ※「インナーゲーム」より |