伝えたいことと伝わることの難しさ
校内合宿が終わりました。練習はゲーム中心で、OBやら学生などで館内がワイワイいっています。ご父兄の方からの好意で生徒達の試合風景を映像で練習後に見る機会がありました。
試合直後の話ではできない、本音(?)、だらだら(?)の話し合いができました。 「何事も全力で」 いい言葉ですが、いざ実行するとなるとなかなか難しい問題です。ついつい息を抜きたくなるのもわかります。ひとつひとつの行動にいちいち「さあ、やるぞ!」と意気込んでもなかなか疲れてしまうものだと思います。大切なことは「やらされている」のではなく「自分から求めている」行動にすることだと思います。そのためには、行動の前に「○○だけど、さあ、やろう!」というものではなく、○○を思考しない、「(ただ)やる!」ということではないでしょうか。そこに「我」は必要ありません。 「基礎打ちを変える」 コート上で羽を打つということは、基礎打ちも試合も同じです。基礎打ちを試合につなげることができなくては、何のためのコート練習かわかりません。「覚悟」してコートに立たなければならないのです。 「打球に目的を持たせる」 何のためにそう打ったのか。一瞬の「ひらめき」がラリーに影響します。その一瞬のひらめきはいかに普段の練習で考え、工夫するかで、使えるものになるかならないかの差ができてくると思います。ラリー中に論理的に思考できる時間はほとんどありません。 「失敗しても受けいれる」 完璧なショットは誰一人として打てません。また、それに近いショットを連続して繰り返すこともできません。常に失敗のリスクは各ショット毎にあるのです。失敗を後悔している時間はラリー中にありません。その時間を作ってしまうのは自分自身の心です。 ある程度のラリーのパターン化は大切です。それにはまるとしばらくはいい感じが続くでしょう。しかし、パターンはラリーのあくまでも一部分でしか無く、残りはひらめきです。 いかにパターンにはめるか。パターンとパターンのつなぎ目をどうひらめくことができるか。ひらめきの部分では大きく「心」が影響するものと考えます。言葉にできない「いけそう」という瞬間の感覚を常に磨かなくてはなりません。 |
評価を超える地道さ
未曾有の震災で関西に住む者として、何をすればいいのか気をもんでいます。ニュースなどではとりあえず今は専門家の対応が望まれるらしいので、状況を見守っています。一日も早い復興を祈っています。
さて、高校では選抜大会が間近に迫っています。開催中止する競技もあれば、部分開催もあるようです。バドミントンは今のところ開催予定です。複雑な心境ですが、生徒達にとっては、ほっとしたというところでしょうか。 今日は、パターン練習を5つ組み「できれば次のステップへ進め、できなければ延長して同じ内容を練習する。その評価はこちらで行い、理由は明かさない。」という、「超」理不尽な練習方法を試してみました。評価するところは「集中力」「試合のイメージ」「技術力」「ねばり」「発想力」などを事前に伝えました。 自分の中では上手くいったはずなのにだめだったり、あれ?次へ行けるの?ということも起こり得ます。面数が多いので一人ひとりを見るのが数秒になる場合があるからです。 何がしたかったかというと、 「瞬間の印象で人の評価は変わる」 「見られるというプレッシャーを乗り越える」 「緊張した状態でできなかったことをはっきり自覚する」 などなど。また、勝った負けたの結果からでなく、 「評価に対する圧倒的な権力を前にして、それをどう受け入れるか」 というメンタルトレーニングの要素も含まれていました。 「自分はもっとうまくできているんだ、評価されないのは納得が行かない」という気持ちも出てくると思いますが、結局、瞬間で判断されてしまうことは世の中でおおいに起こります。しかし、逆に地道に頑張り続けていると、いやでも必ず表に出てくるものです。 試合までの日々を地道に送って欲しいと思います。 more>> |