学ぶ=真似ぶ
雨が去り、一気に秋に突入です。気温が下がったとしても「寒い」と言わないことが周りへの甘えを抑え、人として大切なことと思います。それにしても「暑い、寒い」と周りでよく聞きます。一体、人というのは何度が心地よいのでしょうね。よくよく考えてみると結局どちらかに傾いてしまうのかもしれません。ならばその気温をただじっくりと感じることで余計な感情を生まず、心地よく過ごせるかもしれません。
「勝負のこころ」大山康晴著を読んでいます。それにしても将棋の本は本当に参考になります。内弟子生活の中から生き方を学び、強くなりたければ「真似をする」という姿勢で生き抜くというところに名人に到達できる強さが培われるのでしょう。「教え過ぎ」=「過保護」なのかも知れません。勝つための「魔法」なんて実は無いのでしょうね。自分自身を変えるのは自分しかいません。無駄と思えるような努力に真剣に費やした時間だけ本当の底力が培われるのだと思います。 |
「ゾーン」について考える
インターハイから国体予選と夏を駆け抜けました。白石豊先生の「本番に強くなる」をもう一度読み返し、その中の「ゾーン」についての書籍を取り寄せました。
「最高の自分を生きる〜達人達に学ぶ「ZONEに入る」生き方」:丸山敏秋著 致知出版社 ゾーンとは・・・「精神的にも肉体的にもまるで自動操縦されているように感じながら、最高のプレーができる状態」をいいます。 私もかつて、入っていたのかもしれない状態を体験したことがあります。返ってくる球に対してかなり無防備(手がだら〜っと下がっている状態)になっていながらも、目の前のシャトルを相手のある部分に打ち込めるイメージが浮かんでいて、次の瞬間にはラケットヘッドが回っている、ショットは正確に打てることが当たり前に感じ、打ち終わった後はもう次の返球に対して狙っている、ことがありました。体は熱く、心はとても穏やかでした。 その後も「構えない」「構え」で「できる」という感覚があり、ただ成り行きを見つめる自分が他にいたようにも感じました。 「自我から離れ自由自在となる」とよく言われます。「○○がしたい」「○○でなければだめだ」という自己への固執はそういう「ゾーン」には入れないようです。 「私」がするのではなく「それ」がする。「弓と禅」オイゲン・ヘリゲルによるとそのように表現されているようです。「結果の善し悪しからの快と不快から離れ、平常心で結果から超然としているように心がけなければならない。まるで別の人が行ったかのように喜ぶことが最も大切だ」と阿波研造師範は仰ったそうです。 DNA解明の世界的権威、筑波大学名誉教授の村上和雄博士によると、「ゾーン」に入る心構えとして、 ・感謝や感動の心が大きいこと ・出来事すべてプラス思考で考えること ・先を考えず、目の前のことに精一杯取り組むこと ・目標を高く持つこと ・与える精神で生きること と記されていました。さらに、そのプロセスは、 型を通した練習の繰り返し→試行錯誤を繰り返しながら練習を継続→人の脳を十分に発達させる→直感による開眼から「ゾーン」に参入 練習を継続する中で「習慣化」されることは最初はいいが、習慣に陥っては進歩は望めない。したがって習慣を壊す非日常を作り出すことが人の脳を発達させる鍵を握るそうです。 それについて丸山敏雄先生は「即行」を実践することが大切であると記されています。気づいたらすぐに実行。簡単そうで難しいこの実践。 生徒達には「挨拶」「返事」「履物の踵をそろえる」ことを「しつけ」として実践させる必要を感じました。 この本はぜひ一読されることをお薦めします。 |
新入生に向けての言葉
新入生を迎え、めまぐるしい日々が続きます。お互い緊張の中、「担任」として接する時間が長く、話す内容にも気を使います。
とりあえず聞いてくれそうな時期なので(?)、森信三先生の「真理は現実のただ中にあり」より、「志を立てて生きる」の話をしました。親の気持ち、人生は一回限りのマラソン、幸せという人生の種まきとその具体的実行方法、人としての最低限の「紙くずを拾う」という義務、腰骨を立てて決心を貫く、毎日の3つの心がけについて引用しながら黒板に板書。難しいです。意識を失っている者も数名(笑)。 「勝つこと」のみを意識して(させられて?)きた数年間の生徒達にとっては退屈な話だったかも知れません。「勝って不幸になる人生もある」という米長邦雄名人の言葉が少し理解できたような感じがします。そうならないように気づいて欲しいと思っています。 “道徳は説教するのではなく、まず実践することが大切”という言葉のもと、更なる精進が試されます。 |
イチロー選手の言葉
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