すべては通じている
新学期、日々様々な出来事が頻繁に起こり、イメージとして記憶されることが多くなります。「人と人との関わりに全人格をかけない」「成功や失敗は人格と関係ない」そのような言葉を支えに生徒へ対応しようと心がけていますが、何の根拠もない「見栄」のようなものに引っ張られて自分自身を苦しめます。時には自分の欲望を満たしたいが為に他人を犠牲にしようと狙ってくる人もいます。そういうものが見えてくるとその原因は自分の中に隠れてある欲望や怒りではないかと内省します。数十分坐ったところで解決は見えてくるものではなく、「上手くやりたい」という欲望から離れた時にすべてをありのままに受け入れることが出来るのかもしれません。
すべては『必要、必然、最善』である 本当にそうだろうか、厳しすぎないか?と思うならば、 「起こってくるすべての事は自分自身が選んでいる」 と考える。まさにそうだと思うのですが、 「この出来事にはどんなメッセージがあるのか」「私は何を試されているのだろうか」 と考える。どんな状況も3年経てば必ず変わる。 「今の人生の横には同時進行で違う人生も進んでいる」為末大 「一日は一生の縮図なり」森信三 やはりこの方の教えに戻らねばなりません。8巻からなる全集はまだ1冊しか読めてない...。 色々な出来事に対して人格が左右されることはありません。しかし、その対応の仕方に柔軟なしなやかさは必要なのかもしれません。 バドミントンのプレーも然り。すべては通じている。 |
ありがとう
先々週末はインターハイ予選、学校対抗戦が行われました。順調に決勝まで駒を進め、決勝戦は3面同時進行で開始されました。シャトルが重かったこともあるのか、第1ダブルスの攻めが前に出られて押し返されます。「強い球で攻めればとりあえず何とかなるだろう」という油断からか、アタックを押し返されるという展開になると慌ててしまい、もっと強い球を打つことでその不安から逃れようとする。しかし、そのようなショットは力が入っているため角度が付かず棒球のようなショットになりさらに押し返されたり沈められる。修正の効かないまま点数は競り合い、終盤はもはやよくわからない展開に。1ゲーム目は先取されてしまいました。2ゲーム目は話し合いながら球を沈め、前からのショットを押し込むという展開に持ち込み11−1。この辺りはさすがレギュラーです。修正をしていきました。その戦い方で2−1で勝利。第2ダブルスは力で押し切るタイプなのでそんな変化は難しく、2ゲーム目は点数も競り合いながらの展開になりました。しかし、最後まで押し切りの2−0で勝利。トップシングルスは2ゲーム目少しの油断からか中盤で追いつかれていましたが最後はうまく逃げ切り勝利。結局3−0で勝ったものの、ナショナルメンバーの2人がいないチーム(強化合宿のため)では何とも言えない薄暗い空気が漂っていました。
「負けるはずがない」 そう思ってしまうことはあると思います。しかし、そういう展開になるかもしれないと思ったとしても「このゲームでまた新たな自分のプレーを発見できるかもしれない」とコート上の自分に意識を向け、さらにどういう相手なのかを観察する目が持てれば、結果という未来に意識が向くことは少なくなると思います。 人は自分の思い描いた結果に近づくにつれて「ほら、やっぱり。思った通りでしょ?私の考えは間違っていないんだから」と周囲にアピールしたくなる欲望が疼きます。しかし、その瞬間に脳血流量は一気に下がるので思ったように身体は動かなくなってしまいます。血流量を上げるには時間がかかるため、その数分間に全く違う展開になることもあります。 「自分を認めてもらいたい欲望」が勝敗に大きく関わっているように思えます。結局、「自分」など考え抜いたとしてもどれが本当の自分かわからないものなのですが、本当の自分を褒めてもらいたいが為の欲望はなかなか根が深いものです。その辺りは自分を変えようという決意の先に、自分を認めてあげることからしか始まらないのかもしれません。 「○○さん(自分の名前)はよくやっているよね。ありがとう。」 素の気持ちで自分自身に言えますか? |
インターハイ予選 シングルス
連休はインターハイ予選のシングルスが行われました。初日はベスト4まで決まりました。ベスト8以上は本校同士の対決になりました。中には声を出しながら相手を威嚇するような素振りもあったので見苦しいところもありました。同じチームメイト同士が争うのはなかなか見てられません。しかし、こういう公式戦でしか見えない一面もあります。競り合いながらも結果は順当にシード選手がベスト4に残りました。翌日は準決勝から。第1シードの選手(もちろん全国覇者)は少し調子が悪いのか甘い球出しを打ち込まれ競り合いに。1ゲームを先取され疲れも見えているようでした。2ゲーム目も16−16まで追いつかれるなどあれ?という感じでした。ファイナルゲームに持ち込み最後は逃げ切りましたが相当消耗していました。決勝はペア同士の対決。去年のインターハイ予選以来、公式戦では見ることが出来なかった対決です。1ゲーム目は最後まで競り合いましたがサウスポーが先取。2ゲーム目も17−11までリードを広げ、その辺りで油断がでるかもしれないと見ていましたが、最後まで謙虚に攻めを続けていて隙無く勝ちきりました。
敗退した全国覇者もさすがに「足が止まりました」と言っていましたが、「何か守るものでもあるのならそれはただの幻想。私欲の現れ。君から挑戦するものがなくなれば成長は止まる。今その岐路に立たされている、これからそれを見つけなければならない。」と伝えました。逆に勝った方には「油断がでそうなあの場面でよくその瞬間だけに意識を集中させたと思います。この経験をこの後の合宿で試してきてください。」と伝えました。2人とも翌日から2週間程度のナショナルメンバー強化合宿に参加します。大人に混じって練習するわけですが言い訳は出来ません。負けた経験をどう生かすか、まさに私自身にとってもその通りですが、覚悟を決めて生きていかねばなりません。 様々な生徒の反応を見ながら、私自身の迷いにどう対処するかを考えているのかもしれません。幼い部分や冷めた部分、怒りや欲望など数えればキリがありません。試合に負けた後は「劣等感、挫折感、自己顕示欲、孤独感、疎外感......」など表現する色々な言葉があるな〜と思考を巡らせていました。ただただどう生きるかを南直哉氏の「語る禅僧」を読みながら考えています。 しかし、そういった結果から人の価値が下がったり上がったりすることはありません。結局は結果がでた後どうするか、どう行動するかが問われているだけです。 |