指導者講習会とバドアカ講習会のお知らせ
大阪府バドミントン協会より依頼を受け、4級の指導者講習会がありました。2時間の実習講習を受け持ちました。年齢に合わせた練習の実際と実習でしたが、私は高校生の指導についての経験談と実践していることをお話しさせていただきました。
現在の高校生は非常に技術レベルが高くなっているため、私がどんどんスパーリングの相手をして実践指導する・・・なんてことは年々出来なくなってきています。しかし、選手の日々の変化やトップレベル技術の変遷などは伝えることができますし、体の使い方や心の持ちようなどは年齢が高くなっても気づくことができます。受講者の方々は指導するターゲットも様々であったため、今回は「指導とは」について考えていることをお話ししました。 「指導するということは、指導しないことである」 矛盾するような話から始めさせていただきましたが、色々な知識を学ぶことはとても大切です。しかし、それをそのまま伝えてもやはり説得力がなく、どこか他人事の話のようになってしまいます。指導者は色々な知識を溜め込むことよりも、何からでもいいので学んだことを実際に実践することから始めることが大切だとお伝えしました。実践していくと、ふと腑に落ちる体験を伴うことが起こってきます。そうなればむしろ色々な知識は捨てていく気持ちが大切です。 そうなった体験話は一方通行ではなく、指導者と選手の感覚の相違の意見交換につながります。人それぞれ違いのある中で「こうである」という固定観念がすべてにおいて通用するものではありません。指導者から「変な癖」と思われていることでも、それを修正することでむしろ競技力が下がってしまうことも実際にはあります。 今回の講習会では受講生の方に実際に練習メニューを考えていただき、コートで実践していただきました。それについて私が気づいたことをコメントさせていただきました。細かい動きについての話は避けましたが(個人的な感覚かもしれないのと、教科書からは逸脱し過ぎているので)、なぜそうなるのか、なぜそれが必要なのかについて考えていただくきっかけになったと思います。それが正解!というのはないので私も押し付けにならないように心がけました。 1月26日(日)には、弟が勤務する名古屋市のトライデントスポーツ医療看護専門学校の体育館をお借りしてバドミントンの講習会を行う予定です。弟による実技講習をメインに時間が合えば私も駆けつける予定です。機会があればお越し下さい! 実施スケジュールや申し込み方法はこちらをご覧下さい。 |
全日本シニア
全日本シニアが終わりました。1年に一度の最高の挑戦である試合です。今回は40代ダブルスとシングルスにエントリーしていましたが、特にダブルスでは上位進出を狙っていました。緒戦、相手は気合いの入っている相手で1ゲーム目は流れに乗れず大苦戦。19−20と逆転され、緊張も最高潮でした。棒球のスマッシュにネットから浮いたドライブ。もう、どう打っていいのかわからないくらいの状態に陥っていました。しかし、バックハンドで打ったフォア側からの浮いたドライブが相手の2人の間に入り相手のエラー。そこで追いつくとなんとかドゥースで逃げ切ることができました。この大会ではいつか「死線を越えなければならない」と思っていましたが、それが最初に来てあわやというところでした。2ゲーム目は柔らかさが戻り、差を付けて勝利。2人でほっと一安心でした。2回戦は兵庫県、3回戦は東京都、4回戦は広島県と集中力が続き、なんとかベスト8。もう一つ勝てば最終日へ残れます。相手は埼玉県。一見荒々しい相手には見えなかったので、先に攻撃してくる感じではないと思い、こちらからスマッシュを積極的に打っていきました。しかし、相手のレシーブは異様に固く、左右に打ち分けたりボディーを狙ってもことごとく沈められたりしながらそのうちに前へ詰められ押し込まれる。その繰り返しでシーソーゲームとなってしまいました。1ゲーム目の終盤では打っても打っても決まらず、100本くらいラリーが続いたかもしれませんが異様に長いラリーが数ラリー繰り返されました。なんとかぎりぎりで逃げ切りましたが、2ゲーム目はどうなるものやらの気持ちでした。2ゲーム目は少し上げながら守り、そして打っていこうと思っていましたが、やはりそうなればエラーも増えてきてリードされました。やはり打っていかないと!そう決めて、取られ続けても打ち続けていくうちにセンターなどに入れた球が決まり出しました。途中、息が上がるようなまた長いラリーが続きましたが、相手の一人にも同じように疲れが見えてきていました。狙うしかない!一人に球を集めてそこから突破口を見いだしていきました。勝利!ベスト4は確定です。
最終日の準決勝は第1シードの神奈川県です。膝裏の筋肉をいためていたので、そこの周りをほぐすストレッチを十分に行い、会場でも30分のジョグから色々とやりました。コートに入る時には「大丈夫!」という感覚になっていたので全力で行くぞ!という気持ちになっていました。 しかし、1ゲーム目が始まって初球、上がってきた球をスマッシュ!・・・・・・・浮いている・・・・!!。相手はラケットを立てて前へ落として沈めてくる。あら?力が入っている・・・と不安感が襲ってきました。初日の1ゲーム目の再来です。力を抜くように抜くように....と念じながらもリターンは大振り、ドライブは高く、カウンターを食らって追い込まれる。あっという間に5−11。力を抜くことだけを考えていましたが、その次のレシーブからようやく沈めたりできるようになりました、が、16−21で1ゲーム目を落としました。なんとか大丈夫かもという気持ちもありましたが、2ゲーム目も始まると5−11。やばい、これではこのまま追いつかない。そう思ったのでペアに「前に出る!」と告げ、強引でも相手のスマッシュを沈めては前に入り込んでドライブ、プッシュを狙っていきました。リズムが良くなってきたのか徐々に追いつきはじめました。18−19までいったのですが、その後、ショットサービスを押し込まれ18−20。相手のサービスをプッシュしてサイドアウト...!!終わってしまいました。「仕掛けるのが遅すぎた・・・」というのが一番悔やまれました。 試合後、帰りはずっとこの試合が頭から離れず自問自答を繰り返していました。淡路島で温泉に入りながら「肩に力の入る原因は何だろう」とずっと考えていると、やはり思い当たるのは最初の「全力のジャンピングスマッシュ」。相手は後ろからはスマッシュを全力では打たず、沈めながら徐々に前へ詰める機会をうかがっていました。その、スマッシュの遅さにこちら側のタイミングが合わず上げてしまうことが多いことがまず一つ目の原因。そして上がってきたらチャンスとばかりに「全力で打っていく」ことが二つ目の原因でした。つまり、相手はカウンターを食らわないように沈めながら、こちらの攻めたい気持ちを我慢させる。そして上げたとしても、力んで打ってくる甘い球をまた沈めて前へ詰めてくる。こちらは力んで打っているためバランスが崩れていることが多く、次への対応が遅れがちになり、甘い球が多くなってくる。もはや敗因は歴然でした。 相手は決勝に進みましたが、その対戦相手は棄権。自動的に優勝が決まったそうです。悔しい!!という気持ちも最初はありましたが、帰ってからの社会人の練習で色々試すと、やはりその攻め方がとても有効であることがわかりました。腑に落ちた感じがあり、来年こそは!という気持ちに変わっていきました。 |
目標=やろうとすること?
先週末は練習試合がありました。福井県と香川県から2校来てくれました。早朝に出発して到着後、全力で動かなければならないので、体と心のコントロールが難しいと思います。しかし、これも本番の公式戦を意識した練習です。遠征試合ではもちろん勝敗にこだわることもあると思いますが制約された行動範囲、時間の中でどれだけ準備することができるかを色々試すいい機会です。そういうチャンスを生徒たちのために多く与えられている顧問の先生には頭が下がります。「言われたからやっている」ではあまりにも人生、悲しい感じがします。
生徒たちは中間考査も終わり、この週末には近畿大会が控えています。出場できない人も一人ひとり目標を持って取り組んでいると思いますが、目標があまりにも高くて疲れ気味の生徒もいるのは事実です。といって、あまり目標を低く設定すると達成感はあまりありません。自分で妥協したことは自分自身が一番知っていることですから。乗り越えるには少し困難が伴うくらいがちょうどいいと思いますが、人間はやはり乗り越えられそうなこと(失敗しそうにないこと)をやろうとする本能が働くのでそこはなかなか難しいところです。もしこちらが課題を設定したとしてもそれが一人一人の困難さに見合っているかどうかはわかりません。「だれだれに勝つ」というのではなく、例えば「角度をつけたショットを打つ」とか「ハイクリアやロビングはコート奥まで打つ」というようなわかりやすい課題の方が取り組みやすいこともありました。成功率は人によって違いますが、どうすれば上手く行くかはできるだけ生徒に任せます。そういう試行錯誤と選択による自己責任が生徒の自信を育てると考えています。 さて、最近の自分自身のプレーで一つだけもしかしてという感覚があります。それは、逆手の前腕の内転です。親指を少し内側に回転させるようにすると肩が下がるためか上半身に力が入るような感覚が生まれました。上半身がそのようにつながると下半身の働きが十分に発揮されているようにも感じます。相手のスマッシュやドライブに押し込まれがちな方は是非とも試してみてください。 |
エラー = 緊張?
中間考査ということで先週の日曜日は部活ではなく、市民大会に参加しました。ペアは中学生の次男です。2部での出場なのでレベルはあまり高くありませんが、初めての経験からか次男の緊張は異常なほど高まっているようでした。フレームショット、ネットの下にシャトルが突き刺さる、サービスはサイドに1mくらいアウト...等々、目も当てられない状態でした。1ゲーム目はそのまま落としてしまいましたが、2ゲーム目は少しフォローしながら次男に打たせるように出来たのでファイナルゲームへ。しかし、まだまだ肩をまわしたりと緊張はほぐれてない様子。ファイナルゲームは先行できたのでなんとか勝てました。2試合目は調子が戻ったのか、スマッシュを連続で決めるなどいいゲーム内容でした。それにしてもこれほど変わってしまうとは...。父(私)と組んだプレッシャーもあると思うのですが、なかなかそういうプレッシャーを普段の練習では経験していないのだとも思えました。逆にいえば、自ら選択して決定して練習をしていないので、なかなか自信はつかないものだと思います。そういうところは悪しき日本の精神的習慣とも言えることで、なかなか変えることは出来ないのかもしれません。
そういう精神的な考えからいくと、アメリカでは「人にはまだまだ未熟なところがあるため、その辺りを周りでサポートしてあげて力を発揮させてあげよう」という考え方があります。しかし、日本では「人は本来完璧なもので、足らないところがあったとしても、それを補えないのはその本人のせいである」という考え方が強いそうです(為末大さんブログより)。仏道的に考えると人はそのままで仏であるといわれます(本質的にはその通りですが)。人には未熟な部分が多々あり、それを少しずつ受け入れながら、まるでため池の底の泥を少しずつ少なくしていくような感覚で見つめていく必要があると思ってます。周りからも一人一人は違うということを受け入れながら(結果を出さなければならない時は)サポートする必要があると考えています。ただ、それを矯正(強制)という姿勢で関わるのは逆効果で、その成長したいという気持ちは本人自身が選択していないと意味はありません。 話がそれましたが、市民大会では決勝トーナメントに駒を進めました。緒戦では次男の同期の中学生ペアとあたりました。私はいつも隣で見ている子供達ですが、次男にとっては雲の上の存在。やはり緊張は隠せません。ファイナルゲームまでもつれ込みましたが、最後は16くらいで敗退となりました。試合後、次男と話をしましたが、エラーの原因を「緊張のせい」とひとくくりで考えてしまっていることが多く、実は技術的、戦略的に未熟なところがあることに目を向けることも大切と伝えました。「エラーの原因は緊張である」もしそうだったとすれば、なおさら今出来ることを駆使して勝負していかなければなりません。上手だけでは勝てないのが勝負の世界です。本人の思い込みからの構え、位置などを少し黒板を使いながら説明して、そういうところをこれからの部活で練習する、挑戦するところだと伝えました。型にはめようとする学校部活の練習形態では思うように出来ないこともあるとは思いますが、どんな練習内容であっても克服したい本質は見失ってはいけません。 しかし、そういうことはさておき、次男と組んで試合に出れたことは幸せでした。3位の賞状は息子が持って返りました。「なんとしても勝たせたい」という気持ちはありませんが、いろいろなことを学んでいってほしいと思っています。 |
反省・・・そして選択
4月のインターハイ予選から合宿、遠征、インターハイ、近畿大会府予選、全国私学大会、全日本ジュニア、国体と立て続けの試合もちょっと一段落で、次の試合は来月半ばの近畿大会です。期待されながらも不安な日々が続き、学校対抗的な優勝は出来なかったものの、ひとまずやれるだけの結果がついてきたものだと思っています。先日は祝勝会なども開いていただき、色々な人からお祝いのメッセージをいただきました。結果が出れば出てくるようなイメージもありますが、やはり色々な人に支えられての部活動であると思いました。生徒との間に挟まれながらどうあるべきかを常に考えていますが、そのこだわりももしかすると押し付けになってしまうかもしれません。しかし、先人の教えは私の心の支えとするところ。自己流の勝手な解釈にならないようによくよく内省しなければならないと思います。そんな中、為末大さんブログを発見しました。そこにはトップ選手として、指導者としての視点からの話が語られていました。非常に深いところまで考察された内容に感動するとともに、まだまだ自分の未熟さに気づかされました。色々な人がいろいろな立場で気づかれているのを目の当たりにすると、いったい自分は「何をするために生まれてきたのか」を常々考えさせられます。先日、両親と話す機会があり、「生徒さん頑張ったね。東京オリンピックに出るのを見られたらいいのに・・・・」と父が話していました。ついつい私は「自分(私)がその時まで生きていたらいいんだけど」と口に出してしまいました。その時まで生きている保証はどこにもないという意味だったのですが、そういう気持ちは忘れてはならないと思っています。人は周りからの色々な、とても大きな影響を受けながら、生かされています。しかし、「自分が生きている」というような傲慢さはやはり心の奥底にあるもの。そういう自分の姿が祝勝会の少々お酒が入った時に見え隠れしてしまいました。いやはや...お許しを...。
さて、全日本シニアまであと1ヶ月となりました。全国のシニアはほぼ全開で調整に入っていることでしょう。私も負けじと皆さんについていきたいと思っています。生徒のうちの2人も世界ジュニアに向けて出発しました。試合ばかりでなかなか休めないと漏らしていましたが、そういう時ほど充実しているもの。それ自体が報酬であるとも為末さんは仰ってました。世の中は無常であるが意味のないものは一つもない。あらゆる選択を諦めて今の自分があるが、それが自分が望んだ人生。しっかりとせねばと感じています。 |