全国選抜大会
埼玉県に入りました。今日は昨日に続き、生徒たちは日本大学にて練習の相手をしてもらいました。以前に一度行ったことはあったのですが、バドミントン部専用でコートマットが敷き詰められている体育館に入ると「すごい!」の一言に尽きます。
生徒たちは、野口君・山崎君ペアをはじめ、レベルの高い選手たちに相手してもらいました。やはり、トップレベルの選手になると、打つ球のスピードが違います。目の前でさらに伸びてくる印象を受けます。しかし、強打に共通している打ち方は、 「肘を速く後ろに引いてテイクバック、その際リストスタンドしながらラケットヘッドは最短距離を通る」 というものでした。肩甲骨周辺のインナーマッスルが強く、肘の引き方にブレが起りません。しかも、速くテイクバックが完了するので、そこからのドロップショットがとても高いレベルでコントロールされています。さすが!の一言です。 ピンボケです(汗) |
つま先の角度
全国社会人クラブチームバドミントン大会が栃木県で行われました。私は大阪代表チームとして参加しました。コートでのウォーミングアップが2分しかできない決まりだったので、1時間前からストレッチやフットワークをしっかりと行いゲームに備えました。体も何とか動き、私のダブルスは全勝で終えることができました。
栃木代表として全日本シニア、シングルスチャンピオンの大橋さんが出場していました。全日本総合でも拝見していたので、正確で粘りのあるプレーだとは知っていましたが、そのとおりの全くぶれないプレーで全勝されていました。さほど筋肉質ではないのですが、動き出しはとても速く、シャトルをかる〜くさわっているのをしばらく観察していました。 足の着き方は「ペタペタ」という感じで、床を蹴っている感じは少なく、頭もあまり上下動はありませんでした。 特につま先の開き具合に注目すると、周りの人よりも大きく開いているような印象を受けました。バドミントンでは前後左右に動かなくてはなりません。大橋さんの場合は、両足(踵からつま先)が平行な状態ではなく、つま先をやや広めに構え、動き出しを速くしているように思えました。 後ろから打ち込むアタックタイプの人は、相手のインパクト直前に足を前後(半身)に着地させ、前後への動きを強化することがあります。しかし、ラリー作りの中から攻めて行くタイプでは、このようにいろいろな方向への動き出しをスムーズに行い、終盤になってもスピードが落ちないようにしているのではないかと考えられました。 |
「褒める」という行為
「褒めて指導していきましょう!」というコーチングが、よく言われています。もちろん怒りながらよりは効果があると思います。
私も、その言葉通り、しっかりと良いところを褒めて(?)、悪いところはある程度そっとしておき、良いところを伸ばそう(自分の価値観<我が儘?>の中でしかありませんが)と考えて指導してきました。 しかし、そのうち「褒める」というような良いところがいつも同じところとなり、選手側にも飽きが見え、私自身としても同じところを何度も何度も褒めるのもちょっと抵抗を感じるなと思ってきていました。 また、無理矢理良いところ(過大評価まで入って)を探して、そのことを笑顔で生徒に伝えることが、自分への偽りとなって、ストレスとなってもいたのでした。 「イエデ空間」での小池住職の話によると、 「汝は素晴らしい、もっと同じことを繰り返して私を喜ばせなさい。そのかぎりにおいて、汝を承認してあげよう。ただし、もし失敗したときはどうなるかわかってるのだろうな、コラッ」 すなわち、褒められた側が無意識的に感じてしまうのは、褒めてもらえたことについて成功し続けない限り、承認してもらえないのだろうな、というプレッシャーであります。 ということが、自分の心の中にずーんッと入ってきました。 やはり、知らず知らずのうちに「私を喜ばせなさい」というプレッシャーを与えていたのだと感じたのです。 まとめの部分では、 ホメて甘やかすよりは、ポイントを定めて穏やかに叱るほうが遥かに「マシ」な教育方法だということが知られましょう。 と語られていました。心から褒める場合は良いと思うのですが、それ以外は上記の心構えでしっかりと話をする方が良いんだと感じました。「穏やかに」、「さわやかに」...良い表現ですね。 |
北海道!
職員旅行がありました。北海道に行ってきました。自由行動が多かったので、札幌国際スキー場までバスに揺られていってきました。前日の降雪でコンディションがよく、天気もよくて思い切り滑ることができました。今日は小樽に行って運河を見てきました。小樽駅ではランプがともされていて、流れる曲も小樽情緒あふれる曲が流れていました。
最近はラケットが握れていませんが、明日からまた頑張ります。 ただいまホームページデザイン更新中です。もっと見やすいページにしたいと考えています。 |
心からの錯覚
試合に入る前、「この相手なら勝てそうだ」とか、「この相手には負けそうだ」などという心の声が聞こえてくることがあります・・・というかほぼ毎回そういう声が聞こえます。
何を根拠にそういう思考が生まれるかというと、過去の記憶、負けたことがあるとか無いとか、相手のプレーのイメージ記憶、強いショットがくるとか下手だったとかではないでしょうか。 この過去の記憶から引っ張られてくるイメージは、本人の意志とは無関係に、勝手に思い出させられ、それは瞬時に様々な思考をも引き出してしまいます。 それがマイナスに偏る場合はもちろんパフォーマンスを制限しますし、プラスに働く場合でさえ「油断」を引き起こしてしまうものです。 「心は暴れ馬のごとし」という言葉がありますが、「心」は勝手に記憶を瞬時に引っ張り出してしまうだけでなく、そこから生まれている思考を「これはあなたが考えている思考ですよ」と錯覚させてしまいます。 人も動物なので本能があります。危険や安全を本能的に察知します。その心のもやもやを言葉に換えることで人は「自分は今こう考えている」と理解しようとしているのではないのでしょうか。 試合に入る前、沸き起こって来た「不安」や「安心」は心から生み出された錯覚です。その心に囚われず、「ああ、また勝手に思考し始めているな・・・」と客観的に見つめることで、ラブオールプレーから「平常心」で向かえることができるのではないかと思います。 |