目線の高さ
今日は生徒のシングルスフリーの練習をじーっと見ていました。
3年生と1年生がコートに入っていました。 シャトルのコントロール力、動くスピード、特に動き出しのスピードに違いが見られました。 もちろん筋力等も違いがあるのでしょうが、特に頭の上下ぶれの違いに差があるように感じました。1年生は動き出しで上方向へ上半身を上げながら移動し始めていましたが、3年生は上半身を下げながら移動し始めていました。 ホームポジションでの構えの高さにも違いがあり、3年生はやや腰が高い位置で、1年生は腰が深く沈んだ位置でした。上半身は3年生の方が垂直に近く、1年生は前屈みになっていることが多かったです。 一度、上方向へ移動した後では、その後の動きにも頭の上下動が見られ、沈み込みから移動していた3年生はあまり頭、つまり目線の高さに上下動がありませんでした。 身長175cmの生徒ですが、目線の高さはほぼネットの高さくらいでした。 そこだけで結論付けるのは早いかもしれませんが、何か差がある!と思いました。 |
今ここにいる
試合がありました。団体戦でダブルスに出場しました。「イラッ」という気持ちを受け流し、「うまくいった!」という気持ちをも受け流すよう心から生まれる思考をキャッチすることを意識しました。時折、息が上がり「ドキドキ」することはありましたが、これは思考からのものではなく体からの反応だな〜とか考えながら(笑)
ラリーの結果が出た後、思考を受け流し、ラリーが始まる瞬間前にどう集中するか。何かきっかけがほしいと考えていました。相手のサービスプッシュをどう取ろうとか考えてもうまく集中できません。「今ここにいる」という意識を持つためにラケットヘッドを縦に振り、その感覚を手で感じることだけに意識を集中しました。うまくいったかどうか判定はしませんでしたが、試合の結果はうまく転がりました。 |
冬の大会
今日は高校生の冬の大会がありました。インターハイ予選の残りシードを決めるため(近畿上位はシード権獲得済なので)熱い(びくびく?)試合が繰り広げられました。なんとか4つともベスト4に残り、後は同校対決。緊張のためサービスが入らない選手、スピードについていけずエラーを繰り返す選手など、いつもの練習風景が目の前にありました。
決勝戦ではドゥースで競り合いながらもつれにもつれましたが、2年生ペアが優勝しました。 終盤になると前に置きたくなる気持ち・・・わかります。エラーをしてはならないというプレッシャーと、頼むから上げてきてくれ!という気持ちが重なり、その固さから浮いてしまったり読まれて、結局相手の前衛に攻め込まれてしまう展開。 もう、お互いにその繰り返しでした。 意識すればするほど体は固まり、上手くいったとしても次への対応が遅れてしまいます。そういう時は思考を止め、ある一点に集中あるのみ。「押す!」とか「前へ!」という言葉でなく、そういう感覚に頼る方が良いような気がします。 とりあえず今年度の試合は残すところ3月末の全国選抜のみとなりました。忙しい学校生活が待ってますが、日々、負の業をためないように過ごしていって欲しいと思います。 |
怒りの感情
自分の中にわき起こってくる「怒り」の感情。
他人から伝わることもあれば、見たもの(横暴な運転の車)、聞こえてきた音(会話)、ふとした記憶(嫌な出来事)、欲求の多い子供達、それらへの思考から生まれることの多さに驚いています。数分ごとに生まれているような・・・。 今日も何度「イラッ」としたことか。 バドミントンのゲーム中でも多くの怒りが生まれていました。サービスのエラー、大差で負けている時、ペアのエラーなど。その時は「怒り、怒り、怒り、怒り、怒り・・・・・・」と心の中で連呼し、その感情を認め、そこから離れることが大切であると、小池住職は語ります。 しかし、「回避できた!」と考えると自慢したい「慢の欲望」が刺激されます。それではまた元の木阿弥。沈めて沈めて・・・。 |
反省・・・反省・・・気付き・・・
学校では3年生担当なので授業が終わり、日常業務では書類の点検などをしていますが、放課後にはいろいろと会議などがあり体を動かす時間があまりまりません。最近本も読んでないので帰る前にぶらっと本屋へ寄りました。そこで目に留まったのが「もう、怒らない」小池龍之介著という本でした。
早速読んでみると、「欲望」「怒り」「迷い」についてわかりやすく日常の出来事から説明してありました。 「欲望が人を元気にする」という錯覚 「怒ると力がみなぎり元気になる」という錯覚 など、自分に当てはまる部分が多く反省させられます。この方の著書をしばらく読みあさります。「イエデ空間」というウェブサイトも人気があるそうです。 |