脳にプラス思考を
2年生が修学旅行のため、1年生のみの練習となっています。ちょっとしたリラックスからかコート内で集中する姿が見られます。普段はやはり、上級生に気を使う事が多いのだと思います。ストレスがないと成長は望めませんが、大きなストレスの対して脳は逃避する傾向があります。
「怒られる」のも一つで、繰り返されると聞き入れなくなります。怒っている方は聞いていない事がわかるので、よけいに口調を強めてしまう悪循環に陥ります。お互いに苦しみの中にどっぷりと浸かってしまう訳です。 試合においてもプレッシャーから強いストレスを感じると脳は逃避してしまう事があります。集中できなかったり、余計な思考が頭の中をぐるぐる回ったりと。そういうときは実際に上がっている脳温度を下げたり、マイナス要素のない会話をする事で回復できる事があります。 また、「ここは大事なところ、もっと集中して!」と言葉で言っても考えても具体的な方法は見えてきません。大切な事はその状況における観察力だと思います。 1.相手をよく観察する。表情、息づかい、所作など。 2.自分をよく観察する。思考の対象(プラス、マイナス)と時間(過去、現在、未来)、所作、呼吸の深さ。 3.相手の立場になって考えてみる。 4.今できる事、やろうとすることをイメージする。「できない」と考えているのはただの錯覚かもしれない。 話がいろいろな方向へ行きましたが、プラス思考がスポーツに適している事は言うまでもありません。 |
声<威嚇
「健身の羽球コラム」というサイトがあります。この方のブログに「黙れではなかろうか」というタイトルがありました。
少し引用します。 「日本選手は平気でコートの中で耳障りなかけ声や叫び声を発していた。あれは顰蹙を買っているのである。(中略)声は出せばいいというものではない。日本では声を出さないとしかられる。みな違反だということに気がつかない。外国では声を出すとしかられます。」 日本では「声を出せ」という指導者が多いのは事実でしょう。上海ジュニアのコーチも声は出させると聞いたことがあります。しかし、今の日本のジュニアの声の出し方は少し品がないように思われます。興奮してしまって声をからしている人も実際にいますから。 私が中学生だった頃は決まった時に「おっしゃ!」「よし!」、サービスの時に「一本!」「ストップ!」という声だけでした。しかし、最近では潰れる様な声で「おら〜ッッ!!」「うっっしゃあ〜ッッ!!」「いようぉっしゃぁ〜ッッ!!」(表現が難しい・・・)、サービスの時に「ぅおぉぉおお〜ッッ!!」と相手に対する「威嚇」が含まれているように感じます(恥ずかしい話、他人事ではないので情けなく思っていますが)。試合後の握手もちゃんと出来る人が少なくなってきています(指先でちょんと触るだけ)。 リー・チョンウェイ選手などのトッププレーヤーは実にクールに試合を運びます。ただ、プレーは猪突猛進にネット前の球を攻め込むなどとても熱いのですが。 一流になりたければやはり一流プレーヤーの所作をも真似しなければならないと思います。私は海外のトッププレーヤーの技術ももちろん参考にしますが、一番見ているところは表情です。特に失敗した後や成功した後のその変化を見ています。もちろん試合後はちゃんとお互いをたたえあっています。日本人はもう一度、「武士道の精神」を取り戻さなければなりません。 |
「きょういく」?「きょうはく」?
いよいよ生徒からの「クラブをこう変えていきたい」という声が聞こえてきました。今年の選手達は去年に比べると少し力が劣るところがあります。ですので正直、やらされる練習では到底本番で力が出ないと感じていました。出来るだけキャプテンに任せて、クラブがまとまるように見守ることを多くしていました。
成果はすぐに出るわけがありません。しかし、生徒達が自ら向上していこうとする力はやがて大きな影響を与えていくと思います。 「先生、こういうところを変えてもいいですか?」 「当たり前でしょ。あなた達のクラブなんだから。」 指導者は下手をすると選手を支配することで自己満足に陥ってしまう可能性があります。そういう支配欲は誰にでもあります。指導者間の会話ではそういう内容も耳にすることがあります。聞いていて気持ちのいいものではありませんよね。 もはや「教育」ではなく「脅迫」です。 「良い指導者は生徒と共に笑い、悪い指導者は生徒を笑う」 この言葉を肝に銘じて生徒に寄り添いたいと思っています。 |
「冷えますね」
夏の「暑い」に続き、今では「寒い」の挨拶ばかりです。私は言いません。「にこっ」とするか「冷えますね」と言います。「暑い」「寒い」にはどうも相手に同意を求める「甘え」が含まれているような気がして落ち着きません。言われるとそわそわします。「寒いですねと返事しなくてはならないのだろうか?」と。考え過ぎでしょうか・・・。
生徒達は相変わらず週末の試合に向けてダブルスの練習をしています。「相変わらず」ってところに少し苦みがありますが。やはり練習に独自の「工夫」が足りないような気がします。同じ形式であってもリスクが高いながらも狙っていく姿勢が少なく、ネットに引っ掛けてしまったとしてもその後の修正する様子がなかなか見えません。特に基礎打ちでは。 合気道、藤平信一氏の「心を静める」という本の冒頭に「教わる姿勢」と「求める姿勢」の違いについて書かれています。教わっている内はまだまだ身に付きません。そこを抜けて自ら求める姿勢にならないと記憶にも残らないということでした。指導者は選手のベクトルが目標に向かって芽生えるように手本を示しながら陰で支え、選手のベクトルが大きくなり始めればそれを育て、最終的には指導者も同じ方向のベクトルに向かってさらに成長しようとするのが理想の形ではないかと考えています。指導者も「求め」なければならないと思います。 |
変化を感じる
いよいよ冷込みが本格的になってきました。学校ではインフルエンザが流行っています。「予防接種した?」と繰り返し聞かれますが、私はしていません。気が緩んだ時に発症すると思っているからです。そのよくない状態であれば生活習慣も変わり始めており、食事の好みも変化しつつあります。病気を怖がるよりもまず、自分の生活習慣の変化の兆しに気づく事が何よりも大切だと考えています。その変化にいち早く気づき、食事の内容や寝起きの時間、運動量などを変える事で体調は維持できるのではないでしょうか。そのためには「欲望」を減らす、「足るを知る」心構えが大切です。何かを得る事で「気持ちがよく」なったとしても、脳はさらに「気持ちがよく」なる事を欲します。人の欲望には限度がありません。
「PHP」2月号の養老孟司氏の「二足の草鞋のすすめ」を読みました。中でも、昔は子供が20歳を超えて生きることが当然ではない時代だった。したがって親はいつでもその瞬間に愛情を全力で注いでいたという内容の文章を読んではっとしました。「将来のために」子供の尻を叩いて・・・という行為は果たしてどう解釈したら良いのか。甘やかすことだけが愛情ではないですが、完全なる受容が果たして出来るのかどうか。人としての器を考えさせられます。 |