「目」の力
インターハイ予選も残すところダブルスのみとなってきました。この連休で学校対抗とシングルスで代表が決まっています。男子シングルスではなかなか個人全国出場できなかった選手が念願の優勝を勝ち取り、2位代表には2年生が決定しました。
昨日、世界卓球に向けての番組で福原選手などの様子が放送されていましたが、「勝つための執念」がやはり大切で「結果を出さないと・・・」と常に語られていました。しかし、コート外では柔らかく、いい人柄があふれています。一流選手の条件はやはり「目」だと思います。 なかなか言い表しにくいものですが、何かをやり遂げてきた人の表情にはぱっと明るいものを感じます。何か余計なものを抱えている人は「どんより」と目の辺りが曇って見えます。 たとえ、バドミントンがあまり上手でなくとも「今までやってきたことがこれなんだ!」と出し切ろうとする2部に出場している選手などでも本当に目が輝いています。(大阪のトーナメントは1部と2部に分かれています) 持って生まれた「性格」もあるかもしれませんが、曇った表情を少しでもクリアにできたらと思っています。私自身もそうならないようにまずは自分からですが・・・。 |
公式戦直前
いよいよ明日からインターハイ予選が始まります。生徒の様子もマイペースな者、焦っている者、体調を崩す者、結果が伴わない者など様々です。
「どうすれば・・・(うまくいくのか)」と質問攻めの日々ですが、単刀直入に「○○すればOK」と答えにくい内容なので苦労しています。日々の中で感じておかないと修正するのに時間がかかることが多いからです。「今になって気づくのか・・・」と思うこともありますが、「今にならないと気づけない」のかもしれません。 結果に対する周りの反応を気にするあまり、「やる気の起こらない」選手はさすがにいませんが、今は自主的な練習に任せています。 目標となる公式戦を目の前にして「モチベーションが上がる」のもわかりますが、さらに考えてみますと、普段の毎日の練習の中で「やる」といってからやっているうちは長続きしないものが多い(森信三先生)のも事実です。試合に合わせて「モチベーション」を上げているうちは、試合がないと「モチベーション」を上げられません。直前になって辻褄を合わせているようではただの「軽業師」になってしまいます。崩れだすともろいものです。 結果が評価される時だけ頑張る「軽業師」ではなく、日々の中で見本となるプレーの模倣、いろいろな知識の吸収から、バドミントンを通して「しまり」のある人間に成長して欲しいと思っています。 |
伝えたいことと伝わることの難しさ
校内合宿が終わりました。練習はゲーム中心で、OBやら学生などで館内がワイワイいっています。ご父兄の方からの好意で生徒達の試合風景を映像で練習後に見る機会がありました。
試合直後の話ではできない、本音(?)、だらだら(?)の話し合いができました。 「何事も全力で」 いい言葉ですが、いざ実行するとなるとなかなか難しい問題です。ついつい息を抜きたくなるのもわかります。ひとつひとつの行動にいちいち「さあ、やるぞ!」と意気込んでもなかなか疲れてしまうものだと思います。大切なことは「やらされている」のではなく「自分から求めている」行動にすることだと思います。そのためには、行動の前に「○○だけど、さあ、やろう!」というものではなく、○○を思考しない、「(ただ)やる!」ということではないでしょうか。そこに「我」は必要ありません。 「基礎打ちを変える」 コート上で羽を打つということは、基礎打ちも試合も同じです。基礎打ちを試合につなげることができなくては、何のためのコート練習かわかりません。「覚悟」してコートに立たなければならないのです。 「打球に目的を持たせる」 何のためにそう打ったのか。一瞬の「ひらめき」がラリーに影響します。その一瞬のひらめきはいかに普段の練習で考え、工夫するかで、使えるものになるかならないかの差ができてくると思います。ラリー中に論理的に思考できる時間はほとんどありません。 「失敗しても受けいれる」 完璧なショットは誰一人として打てません。また、それに近いショットを連続して繰り返すこともできません。常に失敗のリスクは各ショット毎にあるのです。失敗を後悔している時間はラリー中にありません。その時間を作ってしまうのは自分自身の心です。 ある程度のラリーのパターン化は大切です。それにはまるとしばらくはいい感じが続くでしょう。しかし、パターンはラリーのあくまでも一部分でしか無く、残りはひらめきです。 いかにパターンにはめるか。パターンとパターンのつなぎ目をどうひらめくことができるか。ひらめきの部分では大きく「心」が影響するものと考えます。言葉にできない「いけそう」という瞬間の感覚を常に磨かなくてはなりません。 |
評価を超える地道さ
未曾有の震災で関西に住む者として、何をすればいいのか気をもんでいます。ニュースなどではとりあえず今は専門家の対応が望まれるらしいので、状況を見守っています。一日も早い復興を祈っています。
さて、高校では選抜大会が間近に迫っています。開催中止する競技もあれば、部分開催もあるようです。バドミントンは今のところ開催予定です。複雑な心境ですが、生徒達にとっては、ほっとしたというところでしょうか。 今日は、パターン練習を5つ組み「できれば次のステップへ進め、できなければ延長して同じ内容を練習する。その評価はこちらで行い、理由は明かさない。」という、「超」理不尽な練習方法を試してみました。評価するところは「集中力」「試合のイメージ」「技術力」「ねばり」「発想力」などを事前に伝えました。 自分の中では上手くいったはずなのにだめだったり、あれ?次へ行けるの?ということも起こり得ます。面数が多いので一人ひとりを見るのが数秒になる場合があるからです。 何がしたかったかというと、 「瞬間の印象で人の評価は変わる」 「見られるというプレッシャーを乗り越える」 「緊張した状態でできなかったことをはっきり自覚する」 などなど。また、勝った負けたの結果からでなく、 「評価に対する圧倒的な権力を前にして、それをどう受け入れるか」 というメンタルトレーニングの要素も含まれていました。 「自分はもっとうまくできているんだ、評価されないのは納得が行かない」という気持ちも出てくると思いますが、結局、瞬間で判断されてしまうことは世の中でおおいに起こります。しかし、逆に地道に頑張り続けていると、いやでも必ず表に出てくるものです。 試合までの日々を地道に送って欲しいと思います。 more>> |
評価は無常
ジュニアナショナル選考会の結果が知らされました。1名は合格し、もう1名は不合格でした。こちらとしてはなかなか複雑な心境です。合格した選手は理由を考えることもなく次へのステップの準備をするでしょう。しかし、不合格だった選手はその理由がはっきりと示されていないので、この模索からなかなか離れることができないことも事実かと思われます。
戦績、技術、体力テストなど得点化されているなら、結果通知にはっきりと示されたほうが選手も納得いくでしょうね。 人が人を評価する以上、何らかの意図(気持ち)が入ってしまうことは止むを得ないことだと思います。また、経験や記憶、好き嫌いなどの感情ほど曖昧なものはありません。したがって、そこから生み出された結果に左右されず、日々精進するしか道はありません。 「今やれることに全集中力を傾けること。練習に試合のような錯覚を与えて励むこと。」 を伝えました。まだ10代の若者に伝わるかどうかはわかりませんが、できるだけ早く気づいて欲しいと願っています。 |