「冷えますね」
夏の「暑い」に続き、今では「寒い」の挨拶ばかりです。私は言いません。「にこっ」とするか「冷えますね」と言います。「暑い」「寒い」にはどうも相手に同意を求める「甘え」が含まれているような気がして落ち着きません。言われるとそわそわします。「寒いですねと返事しなくてはならないのだろうか?」と。考え過ぎでしょうか・・・。
生徒達は相変わらず週末の試合に向けてダブルスの練習をしています。「相変わらず」ってところに少し苦みがありますが。やはり練習に独自の「工夫」が足りないような気がします。同じ形式であってもリスクが高いながらも狙っていく姿勢が少なく、ネットに引っ掛けてしまったとしてもその後の修正する様子がなかなか見えません。特に基礎打ちでは。 合気道、藤平信一氏の「心を静める」という本の冒頭に「教わる姿勢」と「求める姿勢」の違いについて書かれています。教わっている内はまだまだ身に付きません。そこを抜けて自ら求める姿勢にならないと記憶にも残らないということでした。指導者は選手のベクトルが目標に向かって芽生えるように手本を示しながら陰で支え、選手のベクトルが大きくなり始めればそれを育て、最終的には指導者も同じ方向のベクトルに向かってさらに成長しようとするのが理想の形ではないかと考えています。指導者も「求め」なければならないと思います。 ![]() |
変化を感じる
いよいよ冷込みが本格的になってきました。学校ではインフルエンザが流行っています。「予防接種した?」と繰り返し聞かれますが、私はしていません。気が緩んだ時に発症すると思っているからです。そのよくない状態であれば生活習慣も変わり始めており、食事の好みも変化しつつあります。病気を怖がるよりもまず、自分の生活習慣の変化の兆しに気づく事が何よりも大切だと考えています。その変化にいち早く気づき、食事の内容や寝起きの時間、運動量などを変える事で体調は維持できるのではないでしょうか。そのためには「欲望」を減らす、「足るを知る」心構えが大切です。何かを得る事で「気持ちがよく」なったとしても、脳はさらに「気持ちがよく」なる事を欲します。人の欲望には限度がありません。
「PHP」2月号の養老孟司氏の「二足の草鞋のすすめ」を読みました。中でも、昔は子供が20歳を超えて生きることが当然ではない時代だった。したがって親はいつでもその瞬間に愛情を全力で注いでいたという内容の文章を読んではっとしました。「将来のために」子供の尻を叩いて・・・という行為は果たしてどう解釈したら良いのか。甘やかすことだけが愛情ではないですが、完全なる受容が果たして出来るのかどうか。人としての器を考えさせられます。 |
プレッシャーコントロール
出来るわけないですよね・・・まだ若干16、17才なんだから・・・。
先週は高体連の冬の大会がありました。何かの予選ではないのですが、公式戦ですので校内のランクにも響きます。一週間ほど前から生徒達は色々な表情を出していました。近畿大会で団体メンバーに入っていた生徒はもちろん負けられない試合であり、レギュラー以外の生徒はメンバー入りを狙っての試合になっているのです。熾烈な争いで過酷といえば過酷ですが、それは勝負がかかっているので当然といえば当然です。やはり、競争することでしのぎを削り合うことは大切であると思います。 トーナメントなので対戦に偏りも出てきます。スイスイとベスト8に残る者や、2回戦で競り合う対戦になったりもしていました。その中でも校内ではあまり勝てていない生徒が、一代奮起したのか、ものすごい気迫で勝ち上がりました。もちろんベスト8入り戦では団体メンバーを破っての勝利です。結局2人がメンバーを破ってベスト8に勝ち残りました。 負けた生徒に共通して見られたのが、「負けられない」というプレッシャーです。「声」にびっくりしてしまったり、打てども打てども肩に力が入っているので効果的なショットが出せないまま自分からエラー。 「前に勝ったことがある」 という自信はもろくも崩され、逆に自分の敵になります。そう思っている時点で集中力は欠けているのだと思います。人はロボットではありません。以前の結果など全く当てになるわけがないのです。 「逆境に耐えることは簡単だが、順境に耐えることは難しい。」 静かに内省し、乗り越えていって欲しいと思います。 天外伺朗氏著「教育の完全自由化宣言!」「「生きる力」の強い子を育てる」を参考に教室での授業を少し変えつつあります。 生徒達はやや戸惑っていますが、何でもやってみないと気が済まない性分なので仕方がありません。バドミントン部の運営にも絶対に役に立つと思っています。 |
選抜合宿を終えて
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
年末年始は数日間の休みを利用して家族でスキーに出かけました。いつも何か課題を持って滑ろうとしています。今年は高岡英夫氏の「ゆるスキー」を実践しようと気合を入れていました。 腰を中心に全身を左右にゆらゆらさせながらのターンです。今まではターン時に重心を移動させ踏ん張るイメージが強かったのですが、この「ゆるスキー」ではまったく逆で常にセンター軸が意識されているように滑らなければ力が抜けません。板だけが左右を往復しているようなイメージでしょうか。うまくいくときはターンした後に板が勝手にセンターへ戻ってきて、次のターン動作に入れました。しかし、この滑り方は楽なのですが、スピードがなかなか落ちません。急勾配やコブではまたまた力んでしまうのでした。しかし、林間や緩斜面ではとてもすがすがしく滑ることができます。次回もさらに練習したいと思っています。 先週末は近畿高校の強化合宿が2泊3日で行われました。私は幹事校のため宿泊から食事の手配と色々と気を遣わなければならないのでした。合宿2日目から全国合宿のため松山へ行っていた選手らが合流し、雰囲気がガラッと引き締まりました。やはり上位選手の集中力は周りにいい影響を与えます。 そんな中で能力が高いのに、だらだらとしてしまう選手がいます。やはり「挑戦」しなくてもいいので「退屈」してしまうのでしょう。または、目標が高すぎて芳しくない結果から逃れられず、疲れ果てているようでした。 〜何のための練習か〜プロセスがすべて ある話で「負けないように対戦を組む。負ける試合では使わない。」「負けそうになるとストップさせる」などを耳にしました。しかし、そのようにしてぼやかされて培われた(?)自信はすぐにメッキが剥がれてしまうものだと思います。「負ける試合」=「鍛えてくれる」と考えることが大切です。また、「苦難」と感じれば感じるほど自分にはまだまだ伸び代があるのだと思います。そう選手に伝える指導方法が本物だと思います。 |