私は中学校から本格的にバドミントンを始めました。最初はゲーム練習で1点も取れず、それまではスポーツで周りよりも劣っていると感じていなかったので、大きな悔しさを体験しました。練習することで少しずつ上達していきましたが、先輩たちは全国大会でも活躍しバドミントンってものすごく奥深いスポーツだなと実感しました。
ある時、顧問の先生のお話の中で、「わしがな、バドミントンをやっているときに一番楽しいと感じるのはな、この静かな体育館でパーン、パーンと羽を打ってるときや」と話されました。当時の私はそんなもんかな?となんとなく思っていました。
如何に相手を振り回し、強い球を打って攻めていくか、勝っていくかしか考えていなかった私は、トレーニングと練習に明け暮れていました。より速く、より強く、より高くできるように、走り、跳び、打ちました。自分の得意パターンもできて上位の先輩方に勝てることもありました。
おかげさまで、県レベルではメダルが増えていきました。しかし、綿密に準備し、緊張を乗り越え、最後まで勝ち切るともちろんうれしいのですが、次の試合のことを考えるとまた準備が始まるのか、と思うこともありました。
そんな中、バドミントンをしていて何が楽しいのだろうと思うことが多くなってきました。勝つことが本当に楽しいのかどうか。逆に負けると楽しくないのだろうか。まだ私は負けるとその瞬間に楽しさが半減してしまいます。しかし、私が勝った対戦相手から「楽しかった」と言われると「そうなんだ…」と思うこともしばしば。そういう意味では結果次第で楽しさが倍増、半減するのは私は本当にバドミントンを楽しめていないのではないかと思うようになりました。
私は何が楽しいのだろう…と考えていくと、バドミントンの音、リズム、感覚(触)なのではないかと思うようになりました。これは人それぞれだと思いますが、私はこの体感が楽しいのでした。
シャトルをミートしたときの音、優しく触れた時の感触、コントロールされたシャトル、お互いの攻防によるリズム、難しいショットにうまく反応した返球、まさに中学校の顧問の先生のお話されていたことでした。なるほど、私もこれが楽しいのだ、と確信しました。
私は指導する立場にもありますが、今は何を伝えたいかというと「勝つ」ことよりも「気持ちよく打つこと」を優先させています。打ち損じをなくそう、全身のタイミングを合わせてより楽に打とう、力を抜いて準備し素早く反応しよう、などは私がよく使う言葉です。「その一打」が試合で出るだけでもいいと思っていますし、それが多く再現できれば必ず結果はついてくるようになります。
今は亡き、杉田忠邦先生。バドミントンの面白さをその瞬間に伝えてくださりありがとうございます。これからも先生のご指導をつないでいきたいと思います。