私の両親は小学校の教員でした。幼少期に父親のプール指導を見てかっこいいと憧れ、母親の丁寧な授業準備を見て教員っていいなと思いました。小学校に入学すると周りは両親の知り合いの先生が多く、「先生の息子」という目で見られる中、いつも「ちゃんとしなければ」というプレッシャーを感じていました。算数が苦手だった私は「全然解ってないっ!」と母親に叱られながら鍛えられ、いい成績を取ることが認められると思い、高学年になると自ら勉強するようになっていきました。
私立中学受験を経て全国有名校のバドミントン部に入った私は、一番下手だったのでみんなに追いつけるように頑張っていました。部顧問の先生はとてもバドミントンがうまく、練習メニューをこなし、相手してもらえるだけで強くなっていきました。練習すればするほど上達するので怪我でできない時期もありましたが楽しく続けられました。一方、勉強の方はとても難しくて、50点満点の数学のテストで平均点が一桁というものもありました。そんな中で理科の林原先生という方がいらっしゃいました。先生は年配の方でしたが、生徒から軽んじられ、教室内が騒がしくなると「うるさいっ!」と叱られるのですが、その言葉に私も含め、生徒たちは「でた〜」と笑いながら真面目に聞かない教室になっていきました。授業で植物の一部の「りんぺん」という言葉が出てからは林原先生のことを「りんげん」とあだ名がつけられてしまいました。
そんなある日、職員室に部顧問の先生から呼ばれて話が終わり、出ていくときにふと周りを見ると林原先生が教材研究をされていました。
「あんなに生徒たちが授業を真面目に聞いていないにも関わらず、毎回ちゃんと準備をされているんだ…。」
今まで先生のことを軽んじて見ていた自分が非常に恥ずかしく思え、それ以後は周りに流されず、二度と軽んじる態度を取らないようになりました。どんな先生でも生徒たちのことを考えてしっかりと準備されておられる、目立たないところでコツコツと取り組んでおられる姿勢を見て教員になろうと決意したのです。
バドミントンを続けていくとそれなりに上達していき、全国大会などにも出場できました。バドミントンの指導もできて全国大会などで活躍できる選手を育てたいと思い高校教員になりました。しかしバドミントンの奥深さに触れてしまった私はどうしても指導だけでなくプレーヤーとしても続けたくなっていました。
指導者の多くは自身のプレーをやめてしまう中、プレーを続ける指導者は多くはありませんでした。保護者や学校の上司から「自身のプレーをやめて指導に専念するように」と言われたことは数知れません。そんな葛藤の中、プレーを続けることでもっと深くバドミントンを知り、その奥深さを選手に伝えたいと思っていました。失敗に失敗を重ねて得た体験は、私自身のプレーも向上させましたが、生徒の中に少しずつ気づきを芽生えさせる問いかけもできるようになってきました。
指導者として全国大会優勝を何度か経験しました。勝った瞬間や負けた瞬間は、飛び上がったり、悔しい感情を表に出さず、次の準備を淡々と進めていました。感情を出しすぎるのは良くないことだと思っていたからです。しかし勝った時は本当はめちゃめちゃ嬉しくて、帰りのフェリーの甲板で一人で涙していました。
選手(生徒)の皆さんへ
先生(コーチ)も1人の人間です。色々な考え方や家庭事情があり、それまでの経験をもとにした選手さん達へのアプローチも様々でしょう。当然、合う、合わないも出てくると思います。しかしそれぞれの方が愛を持って指導されています。指導方法の良し悪しではなく、その奥にある指導者の愛を感じてみてください。そこから選手さん自身が学びとり、自ら体験を通して成長していくのです。相手を非難しても非難が返ってくるだけです。全ての出会いは必然だと思ってください。
私は現在も指導者とプレーヤーを続けていますが、バドミントンを通して学ばせてもらったのはなんだろうかと最近よく考えます。勝つことも大切でしょう、上達することも大切でしょう。しかし、勝っても勝ってもその先に待っているものは…その繰り返しです。もしかしてあまり生産性のないものになっているかもしれません。勝ち負けだけにこだわるのではなく、バドミントンで身体と道具の使い方を学び、謙虚に継続することの大切さを知り、共感できる仲間と繋がってください。
今後について
バドミントンを続けていて学んだ中でも、最近特に意識が向いているのは「食」の大切さです。お腹の調子がプレーにも顕著に現れるからです。腸内細菌の状態が考え方にも現れてくるようです。現在では、毎日口に入れているものは、誰がどのように提供しているかが分かりにくくなっていて、安心安全とは程遠い食品も多く出回っていて、免疫力の低下も懸念されています。そういう食の大切さを伝えていく活動にも力を入れていきます。
「大いに運動し、大いに食べ、大いに笑う」
バドミントンを通してヒトがヒトらしく在るようになる教育と実践の場を作ることが今後の目標です。