指示的から自主的に
中学校は圧倒的に上手な顧問の先生の指導を受け、圧倒的に強い先輩たちに相手してもらうことで、ただついていくだけで強くなっていきました。上級生になると後輩たちに負けられないのでしっかりと練習しましたし、先生には相変わらず全く歯が立ちませんでした。たまに相手してもらう高校女子の先輩たちは全国優勝される人たちだったので勝てない人がたくさんいました。何よりも勝てるようになっていったことで「(言われたことをやっていれば)結果が出ると楽しい!」という気分になり、練習内容は厳しかったですがしっかりとついていきました。高校は練習メニューもありましたがコート外が多かったので自主トレをやりました。いろいろな先輩方にもトレーニングやらパターン練習で気を付けることなど教えていただきました。
環境を作る
大学生になると、指導者はいませんでした。先輩方もそんなにレベルが高くはなかったので負けませんでした。もちろんレベルの高い練習相手がいるとただ勝てるように頑張ればいいのですが、いない場合はこれでいいのかどうかの確認ができず不安になる、もしくは不安を感じないでもいいのかと不安になることがありました(笑)。他大学への出稽古で相手をしてもらうとしてもタイミングがあります。大学の練習も場所が限られていたのでノック形式の練習が多く、シャトルを打っていないときが多くありました。しかしシャトルは飛んできますし、床に散らばっています。「これだ!」と始めたのがシャトル遊びです。
1)シャトル拾い
単純ですが絶対にエラーしないように、エラーしたら○○…というように集中してやりました。フォアハンドだけでなくバックハンドでもやりました。バックハンドは意外と難しく、よくエラーしました。エラーの回数を数えておいて○○を○セットなんて罰ゲームを一人でやっていました。高校で指導するときに、シャトル拾いをすべてバックハンドでやっている生徒がいました。感心しながら「何でバックハンドでやるの?」と聞いてみると両方できるようにやり続けなさいと指導されてきたと話していました。それを続けているこの生徒がすごいなと思いました。
2)シャトル弾き
落ちているシャトルをその場所から集める場所に弾きます。集める場所にシャトル入れの箱などがあると、入るようにコントロールしました。床に集める場合は簡単ですが、箱など少し浮かせないといけない場合はラケットヘッドをどのくらい回すかなどゲームのようにやりました。
3)レシーブ
飛んでくるシャトルを集める場所に打って返します。これができるとシャトルがコート内に散らばらないので一石二鳥でした。クリアやカットは集めやすかったですが、スマッシュはなかなか難しかったです。また、スマッシュレシーブはネットの中央にかかるように返球するというのもやりました。たまにノックを受けている人のコートに入れてしまい慌てて拾いに行っていました。
4)サービス
シャトルを拾い、ショートサービスで集める場所へ打ちます。このおかげでしょうか、ゲーム練習のシャトル交換で支柱下に集めるとき、常に支柱に当たるくらい正確に打てるようになりました。
5)シャトル受け
飛んでくるシャトルをラケット面で受け取ります。ラケット面で跳ねないようにして面の上にシャトルを乗せます。クリアやカットは簡単ですが、スマッシュをラケット面で跳ねないように乗せるのは難しかったです。この練習をしていると、中学の時、先生にスマッシュを割りばしでつままれたことを思い出すのでした。「何やこのハエの止まるようなスマッシュは~」と割りばしでスパッとつままれたときには、「えー!まじかー!もっと速く打ちたい!」と思ったものでした。楽しい思い出です。
遊び感覚で真剣に
大学生時代は一見「なんだ、こんなことか」ということをゲーム感覚で真剣にやっていました。高校で指導するようになり、全国大会でベスト8以上に進むにはどうすればいいか学ぶ日々が続きました。緊張するような場面で力の出せない選手が多く、土壇場であきらめて逃避する選手もいました。エラーをしてもいわゆる「へらへら」してしまうのです。その心境はよくわかるのですが、練習してきたことを選手が活かせないのは指導者の責任だと感じたので、自分自身もそういう状況をどう乗り越えるかを経験していかないと伝えることができないと感じ、また最新のバドミントンを学ばないとプレーにカビが生えてしまうとも考えたので競技は真剣に続けました。
継続を経験する
しかし全日本シニアに出るようになってもなかなか勝てない。勢いと気合いで勝ち上がることもありましたが安定して実力が出せない。年々落ちてくる筋力を何とかカバーしたい。いろいろ考えた結果、10年間は地道なトレーニングを続けてみようと決心しました。ランニング、腹筋、背筋、腕立て伏せ、片足スクワット、かかと上げを毎日続けました。ただし毎日続けられる負荷に調整していきました。ランニングも頑張らないスピードでした。それが続けていくと徐々にタイムが早くなっているのを見て少しづつ嬉しさも増えてくるのでした。
トレーニングは生徒が出場したインターハイ会場でも続けました。「また走ってるよあの先生」みたいな目で見られていたかもしれません。しかし自分で決めたことはやめるわけにはいきませんでした。会場付近でのランニング中に一人で走っていた当時高校生だった井上選手(現ユニシス)とすれ違ったときはなんとなくうれしい気持ちになりました。「この選手は一味違うな」と。練習会場でも汗だくになってトレーニングを続けました。自分の活動を少し自分でも褒めてもらいたくて汗が目立つグレーのTシャツを常に着ていました。「有田さんといえばグレTですよね」と言われるようになったのも少しうれしく感じていました。
10年間続けてみてわかったことは、バドミントンに対するモチベーションが下がらなかったこと、まだまだ知らないことが多くあったこと、学ぶ意欲は年齢を重ねても持ち続けることができること、自分で決めたことは続けやすい、ということでしょうか。現在は継続してトレーニングはしていませんが、また新たなステージに突入しています。そのあたりもお話していきたいと思います。