バドミントンを考えるコラム#39 「パターンを変える」を考える②

快感を覚えてしまう脳

 「うまくいった」という快感はなかなか消えないもので、特に切れのいいショットや相手を誘うショットはその人の中でパターン化されていることが多いものです。初めてラリー中に見るとびっくりするのですが、よく観察してみると同じ状況では同じ事をやってくる場合も多いです。
 以前、練習会でバックハンド側からのクロスネットに全く反応できずにノータッチエースを決められたことがあります。バックハンド前からだったのでストレート奥に上がってくるだろうと(そういうフォームなので)、クロス前を待っていなかったためです。しかし再び同じような状況で相手はストレートに上げるフォームで前に入ってきました。私の体は「相手は上げるのでクロスはないだろう」と反射的に反応しているのを感じました。「クロスに動くことを読まれてストレートにネットされたらエースになってしまう」という不安感は残っていましたが勇気を出してクロスへ移動してみました。すると相手はクロスネットという選択を変えることができずにクロスネットを打ってきました。相手は「クロスに相手がいる!」とわかっていても体は変えることができなかったと言っていました。自動化されたプレーを直前で変えるというのは非常に難しいということですね。
 もう一つの例では、ある人が(弟ですが)「『自分のプレー』とやりたいことをやっていては読まれて試合に勝てないため『ただつなぐ、待つ』を徹底してやってくれ」というペアからのリクエストに従ってダブルスをしました。試合には勝ちましたが、その時は、「全く面白くなかった」らしいです。体が欲する気持ちよさを抑えてのプレーはどこか拒否感があるのでしょう。

欲を抑えられた脳

 もちろん面白いことは大切な要素です。しかし上に行けば行くほどやりたいことをやって勝てないことが多く起こるのも事実です。「やりたいことができないなら楽しくないし、やる意味がない」という感じられる方はおそらく自分の能力以下の相手にしか勝つことはできないでしょう。しかしやりたいことができなかったとしても上に勝ち上がることができればまた新たな世界が広がります。やりたいことをやらせてくれない、やっていては勝てないレベルの相手と対戦するようになると、自分の欲求を解消するという自己完結のレベルを超えて、ペア、相手との共存意識が鍵となることに気づきます。どうやったら全てのプレーヤーのいいプレーが引き出せるのか、どうやったら最高のラリーを全員で作ることができるのか、という考え方です。もちろん勝つためには相手に力を出させない戦略も必要でしょう。しかしそのために自己完結する欲望プレーだけでは勝てなくなる世界があるということです。
 普段私自身はあまり自己完結する欲望プレーを出さずに、どうすればペアにとって攻めやすいショットを相手に打たせるかを考えてプレーしていますが、ある練習会で高校の時に生徒だった選手とゲーム練習をしました。するとむくむくと「(先生だったんだから)上手くやらないと」という欲望が出てきました。ジャンピングスマッシュを大きくサイドアウトするなど普段からは考えられないエラーが多発しました。パターンを変えるという話から少々ずれていますが、それだけ上手くいったことを再現したいという欲や、うまく見せたいという欲は人の根深いところにべったりとくっついているものだと改めて思いました。ペアのためや相手のいいプレーを引き出す、というところに思考は向かわず、とにかく自分が恥ずかしくないようにプレーしなければと思ってしまっていました。ゲーム終盤はそこに気づき少しラリーを長くできるようになりましたが、やりたいことができないという欲求不満と不安から前半を無駄にしてしまった後悔が未だに残っています。

基本型に変化の種がある

 そんな反省の中、また桜井章一さんの動画に出会い食い入るようにしてみていました。

「勝ち負けではない、過程がすべて。場のいい流れは自ら作る必要があるが、場の中に悪い流れを作り出す人もいる。いい流れにもっていこうとしてもなかなかうまくいかないこともあるが、それをあきらめてはいけない。」 

まとめるとそのような内容を話されていました。「バドミントンラリーはプレーヤー全員で作るもの」がそこに共通していると感じています。そんな中で麻雀パイの切り方についてもお話がありました。

「強いプレーヤーは動きに無駄がない、形はとても大切である。」

少しハッとするところがありました。形を作るということは「パターン」を作ることにも通じる可能性があります。しかしパターンは読まれると非常に危ない状況に陥ってしまいます。パターンを変えるためには欲や本能が邪魔をして難しい部分もあるとお話ししました。その上で「形がとても大切である」とは矛盾していないか?と思いました。

 ここからはまだ自分の中に落とし込めてはいませんが、桜井章一さんの話も含めてまとめてみたいと思います。できたパターンや技術はできたと思った瞬間からできなくなるもの。技術やパターンにこだわらないようにして捨てることが大切。しかし最も大切なことは基本的な動作をどれだけ無駄をなくすことができるか。例えばハイクリア。ここの動作が美しいとおそらくすべてのショットが整ってくる。そして一番誰にも邪魔をされないショットであるサービス。今はこの所作が最も大切な感じがしています。シャトルどのように持つか、グリップをどう握るか、ラケットの出し方は?その辺りをもう一度初心に戻って作り直していきたいと思っています。

 パターンを考えるというテーマでしたが、美しい基本的な所作の中に欲を超えた真の動きを見ることができるなら、そこを極めるつもりで鍛錬することが変化自在なパターン、戦略に広がっていくのではないかと今の段階では考えています。私のお話は手っ取り早く勝つにはという目的からはかなり離れています。しかし本当にバドミントンを楽しむにはいずれ直面するであろう壁についてお話しできているものだと思います。ご参考になれば幸いです。

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