バドミントンを考えるコラム#29 「習慣」を考える③

 「五感に集中する」

 前回はより深く経験するためにいろんな思考を習慣化させて自分の心の状態を良好にしておくお話をしました。不安感があると、今目の前で行っている行動ですら集中して経験することができません。この記事を書きながらも「やるべきこと」のようなものが頭の片隅に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しています。しかしそれにフォーカスするかどうかは、それが楽しいかどうか、優先順位はどのくらいかをイメージして選択しています。バドミントンのプレー中であったとしても日常気になっていることが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しています。ある事柄が気になって拘ってしまい集中することが難しい時、私は「五感に集中する」と思考し“今”に戻る試みをします。どうやら私は音に敏感なような気がします。ここは大切なところで、人それぞれ敏感な感覚があるようです。視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚のうちどれが敏感なのかに気づき、それに集中することで思考が整理されます。それができれば今のプレーを十分に経験することができ、何をどうすればもっと楽しめるのか、どうすれば勝てるのかに近づけると思います。

  バドミントンでの思考習慣

 1)足が出ないとき…「肩甲骨を下げる」

 一見関係ないように思われますが、肩甲骨が下がればフットワークの動き出しや方向転換が早くなります。これは試してみるとすぐに実感できました。頑張らないと!動かないと!と思えば思うほど肩甲骨が上がりますので注意が必要です。「コモドドラゴン スポーツ」中野崇さんより学びました。

 2)相手のシャトルに反応できないとき…「打った球を見ない」「ペアへの球を見ない」

 特に上がっていくシャトルを目で長く追うと相手からの返球に対応が遅れます。ダブルスの場合、ペアへ行くシャトルを見ても同じです。水平目線が崩れるからです。PHOENIX愛知「ヒデ講習会」より学びました。

 3)ショットが沈まないとき…「重力を使う」「手指を意識」

 力みやジャンプで重心が高くなっていると振り遅れの原因になります。重力を使うと思考すると重心が下がります。また手指を意識してラケットグリップの感覚が戻るとラケットヘッドの準備が早くなります。 

 4)どうすればいいかわからず混乱しているとき…「視野を広げる」

 どこに打っていいかわからない、どこに打っても返ってくるという不安感や今の失敗を取り戻そうとする焦りなどにこだわっているとき、「視野を広げる」と思考すると見えてくるものが変わってきます。バドミントンコートは大きく九点(前後左右中心)をイメージして狙っていくと、「ここの点からくるショットは取れる」「この組み合わせは効く」ことに気づくかもしれません。

 5)相手に騙されやすい時…「姿勢を低く、山の如く見る」

 早く対応しようとしているときは、気持ちがはやり、姿勢が高くなっていて先動きしやすくなっています。つられて動かされる原因にもなります。「姿勢を低く、山の如く見る」と思考し、少し低く構え、水平目線を崩さないようにじっと相手を見てから動くと、意外とスムーズで移動方向も無駄が少なくなります。

身体の習慣化

 三ヶ月かかるといわれている身体の習慣化。筋トレなどでもよく言われていますね。徐々に固くなる筋肉を「今だから仕方がない」「やれば柔らかくなる」と思っているうちに実際に固くなっていき、いざやってみると怪我が出て、肝心のバドミントンができないという悪循環に陥ってしまいます。私も5年前までは生徒と一緒に負荷の高いランニング、トレーニングを続けていました。当時はやらないと体がムズムズしてきてトレーニングすると解消されていました。習慣化されていたのですね。しかしその後環境の変化でやらなくなってしまいました。するとお尻の筋肉の柔軟性がなくなり、それまで出せていた足が出せなくなってしまっています。「ここが届かないの?」というジレンマから自己否定が始まり、いろいろなチャンスに気づけていない恐れがあります。
 少年期でも年齢を重ねてからでも、動かさなければ顕著になっていくこの傾向をなんとか習慣化で打破したいところです。身体への影響の報酬は時間がかかるためなかなかモチベーションが続きにくいのが実際です。やはり大切なのはトレーニング行動の習慣化ですね。

‐ひとこと‐

 「全ては自分が引き寄せている」

 私が基本としている考え方は「全ては自分が引き寄せている」ということです。様々な環境や状況で起こる不運な出来事、腹立たしい行為からくる怒りや不安、なんとなく感じる違和感は自分が引き寄せていて、それに気づくチャンスであると思うようにしています。気づかないときは痛い目を見ますが(笑)。そして嫌なことや人は自分にエネルギーを与えてくれる存在であると思っています。実際に人が怒るという行動には強力な力が必要です。その力をこちらに向けて発してくれているのだから反発してお返ししてはもったいない(笑)。エネルギーをもらうだけもらってその場から離れよう…というのが私のスタンスです。こう考えることによってすべて身の回りで起こることは「必要・必然・最善」であることが実感されるようになりました。船井幸雄さんの著書より学んだことがここで体感されたように思います。

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